とんねるずは死にました

何でしょうなぁ。わしの世代の人たちはとんねるずに影響された・・・そこまでいかなくとも、子供のころにとんねるずの番組を見て育ったという人は多いのではないでしょうか。少なくとも自分はその1人。

 

◆とんねるずに対してはいろんな感情がありますね。まずは何しろ「面白い」。子供のころ、「みなさんのおかげです」とか、様々な歌番組に出ているのを見て、とにかく縦横無尽に好き勝手なことをするとんねるずが面白かった。そんなことを自分は絶対にできないのだけれども、だからこそそれをバンバンやってくれて笑いに変えていってくれるとんねるずを見るのが好きだった。でも一方で、その縦横無尽さが行き過ぎて傍若無人に見えることもあったりして「見ていて嫌な思い」もした。お笑いなのに、腹を抱えて笑いたいだけなのに笑えない。そんなことも何度かあった。

◆木梨の方は歌もうまかったりしてスマートなイメージもありつつ、歯止めが利かなくなった時の傍若無人っぷりは石橋のそれよりもひどく、半分以上が好印象なのだけれどもある一定のラインから向こうは嫌で嫌でたまらない。そんな印象。一方、石橋は原則苦手。対してうまくも上手でもないのに傍若無人な所だけが目について、特にこちらの年齢が上がるにつれて嫌いになっていた。

◆今回のインタビューを見て、そんな今までの彼らに対する思いも重なって、不思議な感覚で、でも飽きることなく40分弱、一気に見終えることができた。面白い。

◆傍若無人だと思っていた石橋の言葉から「自分は不器用で」とか「準備はしっかりする」とか「戦力外通告をされた身だから」とかいう表現が出てくるのを見ると、何とも言えない思いに駆られる。「お前そんなやつじゃねーだろ?」と悪態をつきたくもなるのだが、でも実はそういう人間だからこそ、それでもこれくらいの年齢まで突っ走って無茶をしながらもテレビの世界で生きてくることができたのだろうという尊敬の念もあり。「まだもうちっと速い球投げられっかな~」とあれだけ自然な笑顔で言える彼に対するこの不思議な感情はうまく言葉にできないのが本当のところ。

◆でも、自分のこれからそういう年代に差し掛かる。賞味期限もそれほど長くは続かない、感覚的にではあるけれどもそういったものに追われる不安のようなものはこの数年ずっと抱えていたりするのも事実。そんな自分の現状を、小さいころからテレビの向こうの人として見てきた石橋という人間に重ね合わせているのだと思う。そして彼は、周りの評価を正面から受け止めてその中で自分のやりたいこと、やるべきことを見つめなおして前に進んでいる。そこは見習わなければならない、と思った。

◆ところどころに出てくる彼らしい傲慢さを漂わせるような表現、それは未だに鼻につくものであり聞いていて心地よいものではないけれども、もしかしたらそれすらも準備されたかれの計算のうちだとしたら。まだまだできることとやれることはあるなと思った。良い動画を見た。

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