カテゴリー: 0003伊勢の旅

新潟空港発 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

確か当時、ボーナスで一回くらい親を旅行に連れてってやろう、なんて思っての旅です。

奈良に住む姉宅に集合、そこから伊勢への1泊2日の旅。交通費と宿代は全部こちらが持つぜ(自分と親の分のみ)的な感じで、大人になったことアピールをしたかったのだと記憶しています。


これが乗る飛行機。

新調したデジカメ(確かIXY)を持ってウキウキで飛行機に乗ります。飛行機も超久しぶりでテンションマックス。

しかしそれが、大阪・・・伊丹空港に到着してトイレに入ったときに、胸ポケットに入れていた新調したばかりのIXYがかがんだ拍子にポケットから落ち、たまたま前に出した足にヒット・・・ナイスボレーシュート状態で買って数枚しか撮影していないIXYが伊丹空港のトイレの床をカランカラン~っと転がっていき壁のしかも角にヒット・・・必死で追いかけて拾ってみると、かなりの勢いでボディがゆがみ、電源は入るものの自慢のズームレンズは出てこない、という衝撃の事態が発生しました。

もう着いたばっかりなのに帰りたい・・・そんな旅の始まりでした。

まったく、十数年ぶりに思い出してしまったじゃないか(–;。

伊賀サービスエリア – 2000年 伊勢の旅

2017/9

奈良の姉宅に一泊、確かそこで母とも合流したような・・・あれ、母親は別ルート?覚えてない・・・。

なんにせよ姉の運転で伊勢に向かいました。ここは伊賀サービスエリア。サービスエリアだけどここは高速道路ではなかった気が・・・。

松阪城 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

松阪城址の丘の上より松阪市内を臨む。


看板。お約束。

ちなみに、せっかく松阪に来たのだから、と松阪牛を食べに行こうと思ったのだが、想像を絶する金額・・・いや普通に考えればそれくらいはするのだけれども、まだ経験の少ない当時のわしにとって、かつ旅行費用を出したことでほぼ財布がすっからかんになってしまっていた当時のわしにとって、その金額は到底出せるものではなかったのでした。

残念。

本居宣長宅址 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

松阪城址と同じところにあった記憶。伊勢の人なのですね。

看板を移すことで本体がほぼ写っていないという謎の構図。

おかげ横丁 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

有名ですな。あえて工事現場が入る場所で撮影しているというこれまたセンスのない写真。伊丹空港で壊れてしまったことでカメラへの愛着がふっとび、それが原因でよい写真を撮ってやろうという意識が吹っ飛んでいる模様。

伊勢神宮内宮 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

正面が五十鈴川にかかる宇治橋。なぜ宇治橋?・・・当時勉強した気がするが全く覚えていない。


お約束の看板。正宮にまで歩きます。


 

内宮の正宮を下から。

さすが伊勢神宮、すべての神社の上に位置する神社。20年近く前の昔の話だからかもしれませんが、ここの空気感はほかのどんなところとも違うものだったことを覚えています。有名な神社仏閣などは数あれども、この伊勢神宮ほどピリッと張り詰めたような、外の世界のそれとは違う雰囲気が漂っている場所に入ったことがありません。

新潟からはそうそう行くことは出いませんが、もう一度行ってみたいところの1つです。ここだけはその品格といいますか、雰囲気を維持していてほしいですね。

夫婦岩 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

これはまぁ有名ですからね。行ってみたかったのですが、同行の皆さんの行く気が全くない感がひどかったのを思い出しちゃったなぁ・・・せっかく来ているのに「あんた来たかったんでしょ」「(車で)待っているから行ってきなさいよ」みたいなノリだったかと。つまんね。

小走りに行ってぱぱっと写真を撮ってさっさと帰ってきましたね。

宿、芭新萃(はなしんすい) – 2000年 伊勢の旅

2017/9

宿です。芭新萃(はなしんすい)というところ。今でも営業しているようですね。

しかし、まだインターネットもそれほど浸透していなかった当時、これの予約ってどうやったんだっけなぁ・・・ちょっと不思議。支払いとかもね、どうやったんでしょう。性格的にJTBに行って・・・とか絶対やらないタイプですのでね。不思議。


豪勢な夕飯。

よく覚えていませんが、このあと刺身の盛り合わせみたいのが出てきた記憶があります。


露天風呂。

まぁここは堪能しました。何せ平日ですからね、誰もいない。

ごらんのとおり買ったばかりで壊れたばかりのデジカメを持ち込んで、いろんな写真を撮ったのを覚えています。素っ裸で。

鳥羽水族館 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

鳥羽水族館です。姉の子供、姪っ子たちも一緒だったのでね、こういうところも行くべきかと。


ショー。完全に忘れちまってる・・・。


ラッコの公衆電話。

どうですかこのインパクト。そして懐かしいテレホンカードの公衆電話。

中之郷駅 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

鳥羽水族館で皆さんと別れ、明日からの仕事に備え名古屋経由で帰宅の途につくわし。

いま改めてみると水族館には1時間もいなかったんですね。これはあれだ、もうみんなと行動するのが面倒になっていた証拠ですな・・・いや帰りが飛行機なことを考えると、移動せざるを得なかったのか・・・。

なんにせよ、とにかく近鉄の特急に乗りたかった、しかも未知の「鳥羽」から「名古屋」に行くというこのわくわく感。そこで、鳥羽水族館から近鉄鳥羽駅まであえて「徒歩」を選んだのだったと思います。初めての駅、今なら間違いなくFacebookで投稿していたな。

鳥羽水族館を外から – 2000年 伊勢の旅

2017/9

こちらが鳥羽水族館を外から眺めた写真。こういう写真の撮り方、まさに記録的ですが今もやりますね。今はスマホがあるからとても便利です。というか、やはり人の性質ってそうそう変わるもんじゃないんですね。

近鉄鳥羽駅 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

さて、Googleマップで調べてみると中之郷駅から鳥羽駅まで徒歩約10分という距離。思い出してみると3月にしては暖かかったなぁと。たぶん。写真の通り、ヤシの木がありますものね。太平洋岸ではよくある光景ですが、日本海側の人間にとっては違和感というか、驚きますよね。


鳥羽駅です。


来たぜ近鉄特急ビスタカー! ずーっとずーっと乗りたかったやつだ。

いや、乗せてもらったことはあったとは思うのですが、それは難波から奈良とかだったと思うのですね、それだけでも贅沢だとは思うのですが、それでも近鉄特急に乗って行ったことがないところ、伊勢・志摩・賢島・名古屋といったあたりに行ってみたかったのですよ。

念願かなって鳥羽~名古屋の移動。そりゃもうあがるわけです。

近鉄四日市駅通過 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

もうね、いかにも自分が撮った記録写真、という感じです。看板とか駅の駅名看板とかね、今でも取りますもの。それでも教科書でよく見かける地名に至ったとなると撮りたくなる気持ちもわかりませんか?

近鉄の切符 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

そりゃもうね、記念に切符の写真とかとっちゃうわけですよ。

今では考えられないイですが、マーク的に「喫煙席」ってことですか? 当時は喫煙者でしたからね、間違いないですね(^^;。

名古屋 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

名古屋ですね。きっと近鉄名古屋駅を出てすぐの写真だと思いますが・・・どここれ? もしかして左側はあのでっかいお人形ちゃんがいるところ?

まぁでもこれが人生初の名古屋です。

その後、友人の結婚式で2回目、一人ドライブで3回目、仕事で4回目・・・と意外と4回も名古屋を訪れているのですね。

名古屋空港 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

帰りは名古屋から飛行機で。贅沢。これ以降、こんな贅沢な移動を伴った旅行をしたことがありません。

しかし、当時も驚きましたが名古屋空港、がらんがらんなんですよね、なんもないというか殺風景というか。そりゃあみんな新幹線を使うからでしょうけど、新潟空港が新しかっただけにちょっと驚きの光景でした。

帰りの機内 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

機内です。スマホも何もない時代に・・・いわゆる携帯は持っていたかもしれませんが・・・ちゃんとスケジュール通りに行動できているのが驚き。いや当たり前なんですけどね、今思うとどうやってたんだろう、と思うことがいくつかあったりするわけです。

ノートとか手帳とか片手に移動してたんかな?

東港上空 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

もう東港です。当時は釣りとかやっていなかったのでよくわかりませんでしたが、釣りをやっていたらもっとテンションが上がっただろうなと。

17年前の写真を見て驚くのが、写真左手、福島潟放水路が無いのですよ。道路を見ても、きっと当時は県北の人間が新潟空港に行くときはここからぐっと海沿いに進んでいったのでしょうか。写真右手に新発田川放水路はあるようなので、福島潟放水路の違いだけが特に目につきますね。

長岡は雪 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

正確にはまだ長岡のはずれですが、やはり長岡になると雪なのですねぇ。まぁきれいではありますがやはりテンションは下がります。数時間前まではヤシの木を見ていたわけなので。

こうやってまとめてみると、東港上空を飛んでいるのが14:47なので、空港について空港を離れたのはどんなに遅くとも15:30。中之島にいるのが20:26・・・この間何をやっていたんだろう・・・壊れたデジカメをもって修理の見積もりにでも行っていたのでしょうか。気になる・・・。