日本語は大切

仕事のおかげなのですが、最近は特にITと教育の勉強会に参加する機会が多いでございます。

日本のトップ・・・文科省の人たちが教育をどのように考えているか、理想からはじまって現場に落とし込むまでのその差がよく見えてとても興味深いのでございます。

 

今は教育に限らずITの時代です。我々が求めようが拒絶しようがITが生活のベースになっていきます。国策ですから避けようがありません。「スマホやらタブレットなんて必要ないわ!」と強がるのもいいですが、それはただのわがままでございます。年寄りの妄言にならなければよいですが・・・(^^;。

 

では、教育とITはどう関わるか。ただ単にタブレットやパソコンを使ってお勉強をするのが教育ITではないです。教育の中には人が関わることでしか実現できないところがあって、人がその部分に注力できるようにITの技術を活用しよう、というのが今の考え方のようです。ITで十分できる部分はITに任せてしまって、です。

つまり、やはり教育に人の力は欠かせない、ということなのです。

 

この業界におりますとですね、いろいろな親と子供に出会うわけです。そんな中で案外多いのが「うちのこったら〇〇年生にもなるのに全然勉強しないんです」という親御さんの嘆きの声。直接は申し上げられませんが、残念ながらそれは親御さんの責任でございますよ。それも含めて教育なのですから。まさに人の力です。

エゴでもいいのです。エゴでもいいから親がこうと決めた方針でもってしっかりと子を育てていかなければならないのです。親はいなくても子は育つといいますが、それはそのベースをしっかりと親が作っているからこそ、でございます。子を見れば親が見えます。勉強をする子になってほしいなら、そういう姿勢を親が見せて、そういう面倒な大変なことに立ち向かって行ける強い気持ちを育ててあげなければなりません。放っておいて、学校だけに任せておいて、自然と自分の考える理想の子に育つわけがありません。

人を育てる中心にいるのは人です。機械ではありません。

 

技術的な部分でも、教具がすべてITを活用したものになるわけではありません。基本は紙と鉛筆です。そこからスタートして、紙と鉛筆だけでは実現できないこと、ITを使うからこそできることは積極的にITを使っていこう、ということになります。

ですから、子供の頃はまず紙と鉛筆を使って書くことが大切になると。文字でも絵でもいたずら書きでも何でもいいです。書くことがベースになるのです。キーボード入力とかフリック入力はその先に来るものです。まずは書くことがスタート。

その次は読んで書く練習をしながら、正しい日本語を身につけること。正しい日本語の意味を知り、使うことができるようになっていくことが必要になります。極論になりますが、首都圏の中学受験も一部の超トップレベルを除けばしっかりと日本語をマスターしていけば十分行けるはずですよ、という話になります。極論ですけどね。受験を抜きにしてもその考え方は間違っていないと思います。

だから親は極力正しい日本語を使っていくべきだと思います。そして日本語の世界を広げてあげる努力をするべきだと思います。本を読みなさい、なんていうのは下の下策です。字を丁寧に書きなさい、なんて言わなくていいのです。親が、子の周りにいる大人がそれをやればいいのです。本を読み、正しい字を丁寧に書いていれば、それをこの前で見せていれば子はそうなります。模範になればよいのです。口を出すのは最後、それでも下の下策ですけどね。

Facebookをやっていると、知り合いの知り合いなんていう人の書き込みが目に入ってくることがあります。子を持つ親が、いい大人がおかしな日本語を使って書き込んでいるのを見たりするとぞっとしますね。とある野球チームの監督をしている人の書き込みでは必ず「今日”わ”」「次こそ”わ”」という表現を目にしますが、最初見たときは「気持ち悪い」と思いました。そのチームが仮にとても強くて、そのチームに入ることが野球をやるうえで大きなプラスになるとしても、そんな言葉を使うことを何とも思わないような大人に自分の子を任せたくはありませんね。判断基準、感覚の基準がおかしい。子の模範になる意識が足りない。しつこいですが気持ち悪い。そう思われるとも思っていないあたり、もう救いようがないですね。そうはなりたくない。

 

・・・なんてまぁ偉そうなことを書いておりますが、じゃあお前はどうなんだといわれると「ごめんなさい」と言わざるを得ない部分が多いわけで、だからこういうことを変えて自らを律していこうとしている部分もあったりするわけです。連日の長文になりましたが、親として、こういう業界に身を置いている1人の人間として、今まで以上に日本語を大切にしていきたいなと思った次第でございます。