先日、どこかのコラムで「教えるのがうまい親の共通点」というような内容の記事を読みました。
◆教えるのがうまい親の共通点はずばり「教えないこと」だそうです。その通りだと思いました。
◆教えないことで、大人はストレスがたまります。何度も何度も聞かれることに辟易(へきえき)して、何度も何度も同じことに付き合わされることに根をあげ・・・ついぞ答えを見せてしまうことが多いと思います。「こうすればいいの」と答えを見せてしまったり、「ちょっと待ってて」と代わりにやってあげることは、大人にとってはうまいことをやっているように感じるかもしれませんが、その実、子どもの成長の可能性を奪ってしまっていることになるわけですね。大人が楽をしているだけだと。
◆つまり、大人は子どもに対して根気強くなければならない、と言うことですね。子どもができないこと、とか何度も同じ事を聞いてくることとか、子どもが成長する可能性がありそうなタイミングを察知する力も必要ですが、何よりも大切なのはその可能性をつぶさないように、子どもが自分で気付き成長していくことができるように待ってあげる根気強さ、なのだと思います。
◆仕事がら、学力的に地域のトップの学校に通う子どもたちとその親御さんと接する機会が多いのですが、思い返してみればそういった方たちの多くは、性格が穏やかでおおらかであるように思います。子どもたちに話を聞くと「超怖いよ」とか「めっちゃガミガミ言ってくるし」とか、印象とは異なる話も出てくるのですが、親として大人として(当然、時には感情的になることもあるのでしょうか)多くの場面では根気強く、今目の前にいる子どもにとってどうするのがベターなのかを考えながら接しているんだろうなぁ・・・と納得できるだけの方が多かったなと、そんな風に感じます。
◆振り返ってみて、果たして自分はどうなのか・・・元々が短気ですし、思ったとおりに進まないといらいらして、それが外に出てしまう性質ですので、娘に対しても自身の悪い部分が出てしまっていることは多いんだと思います。特に、娘の遊びに徹底的に付き合うのは苦手です。ごっこ遊びなんかは特に、です。その点は相棒を尊敬します。イライラしながら時には爆発しながらも娘のごっこ遊びなんかによく付き合ってあげています。たいしたもんだなと。
◆だから、我が家は親父が怖い人で、でもちゃんと怒る場面と叱る場面を使い分ける人でありたいと思います。厳しい部分をしっかりと担当できる親にならなければいけないなと。当然、厳しいばかりでは意味がありませんので、前提として「根気強さ」は絶対的に必要です。これまた仕事柄、教えることとなると気持ちが入りすぎてしまうので、娘と接するときは「より言葉を減らす」ように意識して、あちらから何かリアクションがあるまで「歯を食いしばって、根気強く待つ」ことを意識し続けないといけません。その前提があっての「厳しさ」なんだと思います。
◆娘と接するときは
- 褒めるときは褒める、叱るときは叱る、怒るときも考えながら怒る
(叱った後はその後の苦しい状況を受け止める強さも必要ですね、せっかく叱ったのにそれを台無しにするようにすぐにやわらかい雰囲気にしてしまっては意味がありませんから・・・・当然それには周りの協力も必要なわけですね) - 教えるときこそ言葉を少なく、根気強く待つ
- ダメと言うよりチャレンジさせる
(生きてさえいれば怪我くらいどんどんやっちゃってくださいと。身にしみないとわからないことはたくさんあると思うので・・・。親・大人は「ダメ」という方が楽なんですよ。でも、子どもに頑張らせるには、大人が簡単に楽をしたらいかんのだと思います。本当に「ダメ」なことをやめさせるためには、日ごろから「ダメ」をバーゲンセールのように使って価値をおとしめてはいけないなと。ここぞ、と言うときのために本当の「ダメ」はとっておかないといけないんだと思います。) - 常に大きな目標を意識させる
(ついぞ目先のことにとらわれてしまいます。けど、目先のことにとらわれて子どもと接しているとその場しのぎと言うか、一貫性がなくなってしまい、結局は子どもを迷わせることになってしまいます。まずは親が一番大きな目標を持って(最終的にその子にどうなってもらいたいか)、そこから砕いていって今何をするべきか、何が大事かを判断の材料としてアドバイスをしていく、という感じでしょうか。大人、特に親の中でその考え方について意識・認識を共有しておく必要があるでしょうね。)
と言う感じでしょうか。
・・・頑張らなアカンなと。