来ました。
写真の左下にわしの指が写りこんでまして・・・なんぞや?・・・見たいな感じになっておりますが・・・指です(^^;。
わしは不信心なもので、信心深い相棒からすれば「信じられない」ってことになるのですが、まぁそんな相棒がいることで毎年ちゃんと墓参りに来ておりますので、うまい具合になってるんだな・・・運命なんてものがあるとしたらよくできているなと感心しております。
不信心というと言葉が悪いですが、今自分がここに存在しているのはいわゆる親、先祖がいるからこそなのは重々承知なのですが、たとえば自分が骨になった時に、そんなものに時間を費やしてもらわなくても結構かなと思っております。自分の子供の心の中に、片隅に自分がいてくれれば十分であります。
今の世の中、写真やらビデオ(動画)なんてものがとてもキレイにデジタルで残るようになっておりまして、幸か不幸かブログなんてものもありまして、Facebookなんてものもありまして、未来永劫残る保障はありませんが残る可能性はあるものであります。まぁそんなものに頼らんで、自分の背中をしっかりと自分の娘に見せておけばそれで十分ではなかろうかと。いや、そうなるようにがんばれよ>おれ、ってなところでしょうか。
長生きすんのか、とっとと灰になるのかはわかりませんが、灰になったらすかっと海にまいて欲しいのですね。とらわれずに、でも記憶の片隅にちょっとだけ残っている、そんな感じで十分です。それくらい娘には未来を大切にして欲しいなと、後ろを振り向いて懐かしんでいる暇があるなら、前を向けと、そういってやりたいと思っとります。
でも、わしの連れが相棒である以上、ちゃんと墓参りにくるんだと思います。灰になるまでは。