◆最近、いろんなことをず?っと考えてる。世の中の人たちみんなそうなんだろうけど、自分もいっちょまえにそんなことをしようとしている。
◆今、テレビを見ています。ゴーゴーアッキーナで、19歳の南明奈が、日本の映画監督の巨匠2人に演技について質問をしに行くという番組。質問をした2人の監督とも、演技について次のようなことを語ってくれた。
「人間そのものが出る。ドラマそのものは作りごとなんだけれども、基本になるのは人間性である。本当に笑って泣けば良いのである。」
新藤兼人監督いわく、その「裸の島」というセリフが1つもない映画を作った真意として「映像は映像で表せばよいのである」と。あれこそが究極の演技と。
◆思うに、親たることっていうのはこれまでに培った自らの人間性をいかに子供の前で披露していくかということなんだろうなと。すると、娘ができて、自分が親たることを考えるっていうことは、自分自身を見つめなおしているんでしょうね。だから苦しいし、良く分からなくなるし・・・でもこの苦しさを乗り越えれば、自分の人間性にほんの少し深みとか幅がつくんじゃないかと思ってあきらめずにやってみようと思ってます。
◆子供を大きく育てるためには親が自らをどれだけ律することができるかによると思います。親だって、親になるまでにそれなりに経験を重ね親になる訳です。けれどもその経験の上に胡坐をかいているだけで、進歩することを求めずに子供に持論を押し付けるだけになってしまうと、子供は窮屈なんだと思います。
◆子供は毎日全力で成長しようとします。それを親も全力で支えねばなりません。でも積極的に支えてはいけないんだと思うんですよね。「僕はこう思う」「こうしなさい」っていうのは、本人が苦しんで苦しんで、悩んで悩んで、どうにもならなくなった時だけそっと手を差し伸べてあげればいいのではないでしょうか。それができるようになるには、安易に手を差し伸べないように歯をくいしばって我慢する(=親が自分自身を律するように努力する)ことが必要ですし、ここぞというタイミングで助けてあげられるように子供をよく見ていてあげなければなりません。
◆僕はそんなことができる親になりたい。また娘を取り囲む大人(じいちゃん、ばあちゃん、おじさん、おばさん)達にもそうなるように頑張ってもらいたい・・・少なくとも自分はそうやってがんばっていこうと思っているということは伝えたいと思っている。やみくもに「危ないからダメ」「やってあげる」なんていう中身のない空虚な優しさだけ振り回すような大人ではダメなんだと思う。「ダメ」ならいつでもダメな理由をちゃんと説明できなければならないと思うし、ダメだと思ってもやらせてみることも必要だと思う。チャレンジできない子供にはしたくないんだ。
◆僕は頭でっかちですから、行動する前にまず考え込むところがあります。それが自分自身であり、でも抜け出したいと強く思っている部分でもあります。また一方でこれで良かったなと思う部分でもあります。今のところ、娘には頭でっかちにならずにいろんなことにチャレンジできる、そんな思い切りのよい人になってほしいと思っています。
◆でも、相手の気持ちを考えることのできない傍若無人な人になってほしくはないと思っています。相手のことを考えて相手のために何かができる強さも持てたら一番いいでしょうし・・・高望みをしすぎですね(^^;・・・やっぱりまずは積極的にチャレンジできる子供に育ってほしいです。仮にそれで大怪我をしようとも、時間の無駄になろうとも・・・どうなろうとも、この子が望んでチャレンジしてやったことなのであればだれも後悔しないと思います。