塾屋としては意見をまとめる良い機会~その1

さて、自民党総裁選に向けて河野太郎氏界隈が騒がしくなっておりますが、「大学受験」に関する話題が提起されたようなので乗っかりましょう。あちらは国務大臣経験者の国会議員ですから、私なんかよりももっといろいろな人から色々な意見を聞いてここまで来ていらっしゃる上での発言ですから、それなりに重く受け止めたうえでまとめたいと思います。

 

 


さて。基本的な視点としてはポストされたところに書かれている通り、試験のその日にいろいろな要素があるので、人生において大きな影響を与える大学入学試験に運の要素やブレの要素を極力排除してあげることが大切、とそういう意味のようですね。

私はてっきり、少し前にささやかれた大学入試改革で触れられていたような、中学校・高校とコツコツと努力を積み重ねているのだけれども、総合的な知見を問うような今の「入学試験」の形式では十分な力を発揮できないような生徒に対して、6年間のトータルでの努力を積み重ねた部分を評価してあげるような、そのような入口があっても良いだろうという、その視点での追加策なのではないかと思ったのですが違うようですね。

上記の視点でいえば、いわゆる総合型入試がそれにあたるのだと思いますが、総合型入試で求められる総合力が、単に6年間努力を積み重ねたというレベルを突き抜けたような超ハイレベルの努力が求められるようなものが多くなっている(より入試難易度の高い大学ほど、ですが)状況から、結果として「普通のコツコツ型」では今の総合型選抜は救済にも何もなっていない、とかそんな感じだと良かったのですが、と。

とは言え、国際的な視点も含めると競争はどんどん激しくなっており、「6年間勉強をコツコツと頑張りました。特にこれといった成果は上げていませんが、通知表(評定)は良い結果を残しました。」みたいなタイプの人は、これからの国際社会の中で一定の評価はできるかもしれませんが、高い評価はされにくいのだと思いますね。でも中・高の6年間、努力を積み重ねて、皆が好きではない勉強をしっかりとやって(入試形式の問題では十分な成果は上げられなかったけれども)学校の定期テストレベルのところでは素晴らしい結果を残し続けた、という人については相応の評価をしてあげて良いのではないか、とは思います。

ただし、そのためには中学生や高校生の上記のような努力をしっかりと把握するための仕組みと、把握して評価できる人間(先生)の育成が必要になります。昨今、学校の先生へのなり手が減っていて、新潟においてはいよいよ二次試験を設けなければ先生を十分に確保できないありさま、一概には言えませんが、それは即ち(残念ながら)先生の質の低下を意味します。そのような質の低い先生(ほんとすいません)が十分に日常の業務をこなし、そのうえで預かっている子供たちの努力を十分に把握し、適正な評価をつけることができるかどうか、と言えば残念ながらそれは否です。そのための仕組みの構築も考えられているようには見えないし(結果的に先生のなり手が減っていますし)、河野太郎氏の今までの手法を考えた時に「そのあたりの仕組みや細かい部分は事務型が考えればいいじゃんか、どーーーん」とやることだけ決めて突っ走ってしまいそうな怖さを感じてしまいます・・・あ、今回の河野太郎氏のいうところの「一発勝負やめましょう」の趣旨はそういった内容ではないのですけどね。

河野太郎氏の趣旨に則ったとしても、年間に試験を複数回用意して、その中で良い結果を出せれば救済されると言えば聞こえは良いですが、パッと思いつくのは9月試験~11月試験~1月試験~3月試験・・・のように試験のタイミングを複数回用意します、試験ごとの難易度はバラつきがあるのでそれぞれの中で合格者を決めます、学校の履修範囲があるので後半に行くほど試験範囲はやや広がりますが、全体でいえば微々たるものでしょうから大きな差異はないでしょう・・・みたいな前提でやったとして、結局は「前倒しで勉強をどんどんやっていって早めに合格したほうが楽でいいよね!!」みたいな考えが横行するだけのような気がします。結果、一発勝負とあまり変わらんのではないかと。

ポストの中には「天候云々」といった表記が見られますが、もしそれが主眼だとしたらわざわざ「一発勝負やめませんか」なんて提起するほど仰々しいタイトルにするほどではなく、「救済策(セーフティーネット)を整備しませんか」くらいの表現が適切であるように感じます。ですからやはり主眼は十分な力を発揮できるように、複数回の試験を用意すること。また、受験に関わりのない部分を学ばなくなるような状況を避けたいような記載もあるので、最初に書いたような学校で習うことを幅広く興味を持って取り組んでもらうことも狙いなのであればもうちょっとポストの表現を丁寧にする必要があったようにも感じます。

 

ということで、「一発勝負やめませんか」の主眼がどこにあるかわかりづらいのが問題のような気がしますが、6年間(小学生を含めると9年間)も努力をしてきた子供たちの努力の結果を複数回に分けて十分に力を発揮できるように機会を設けてあげること、といういう意味なのだとしたら反対はしません。その代わりに、上記のような仕組みと人の育成も同時に提起していただく必要があるとは思いますね。まずは学校の先生の質の向上から。給料を上げてあげるだけでは済まない気がします。

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