風さん、2回目の命日

(記事を書いているのは8月24日)

さて、風さんが旅立ってから2年が経ちました。今でもまだ日々、会話の中で風の話題は絶えません。そんな時、娘はどんな気持ちで聞いているのか、若い人間の気持ちは掴みづらいですが、あまりにも風さんの話ばかりするのは娘にとって嫌な思いになっていないか・・・という心配はありつつも、どうしても話題に挙げてしまう親2人ではあります。

例えば、娘にとっても風という存在は相応に大きなものだったはずで、兄弟姉妹のいない娘ですからすぐ隣にいる存在として風はかけ外のないものであったに違いありません。だから、風を懐かしんで思い出すことは良いことではあるでしょうが、場合によっては娘にとってふさがりかけているところにまた傷つけてしまうような、そんなことになっている可能性もゼロではないだろうな、という視点です。

娘は親についてとても気を使ってくれます。親が平常であるよう、いろんなことを我慢してくれるような、それで家族全員がいつも笑顔であることを優先してくれるような、そんな優しさがとても強いと思っています。だから、我慢しすぎるところもあるとも感じていて、そこが心配でもあるのです。その意味で、風の話題になることでもしかしたら娘は傷ついているかもしれないのに、親が話をしたいのであれば仕方ない、というような視点でその会話を我慢して聞いてくれていたりするのかもしれない、という可能性は常に考えておく必要があると思っています。

それでも、やっぱり親2人の会話から風の話題が減って・消えて・・・ということは考えにくいことではあるので、気を付けながら風のことをしっかりと思い出していけると良いなと思っております。

 

そのうえで。やっぱり風のことを思い出す日々が続いています。寂しいですね。あえてここに風の記事を書き込まないようにすることで、ちょっとずつ思い出の一部として、吐き出さなくても大丈夫なようになっていくかなとも思ったのですが、日々、風のことを考えます。寂しさ・いろいろな後悔が消えることはないんだなと。

一方で、いつまでもそれだけではダメなので・・・風もあの世で安心できないと思うので、そうならないようにも気を付けてはいるつもりでもあります。実際、そんなに落ち込んでばかりいるわけでもないですし。ただ寂しいのは寂しい、亡くなった日の朝に風を置いて仕事に行ってしまったことへの後悔、これだけはどうしても消えない、ということです。

 

ということで、いろいろな思い・思い出・家族の関係などありながら、そういうのを全部含めて我が家は何とかまわっています。風には天国からそんなところを見ていてもらいたいと思っています。以前ほど喧嘩はなくなりました。でもそれは娘の我慢で成り立っているのかもしれません。だとすると、それはそれで風さんの本意ではないのかもしれません。「私の妹にあんまり我慢させたらダメよ!」なんて怒っているかもしれません。ずっと妹のそばにいて、ずっと妹の面倒をみようとしていた風ですから、そこはとても心配していると思います。

だからこそ、最初の部分になるのですが、娘に必要以上の我慢をさせないように、風の話題に触れるタイミングとかはもうちょっと気を使ってもいいんじゃないか、という考えに至るのです。我々からではなく、娘が話題に触れる時まで親からは動かない、くらい。中学生になった娘が家にいない時間も増えてきたわけで、親としてはそういう時間をうまく使うこともできるわけですからね。

そんなことも含めて、我が家にはまだまだ・・・これからもずっと風がいるんだなと。そんなことを思う近頃でございます。

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