月: 2016年7月

4日目:駐車場

太秦映画村の目と鼻の先にあるTimes駐車場。平日なら500円とリーズナブル。これは使わない手はありません。

4日目:映画村、昼食はうどん

お昼は娘の希望でうどんを食べます。わしは他人丼セット。

さて、太秦映画村を総括しますが、結論から言えば日光江戸村の方が良いです。地理的な不利、コンテンツ不足の不利・・・など、日光江戸村はいくつか不利な条件が重なっていると思うのですが、それを補って余りある良さがあります。

何よりもスタッフの皆さんの徹底した役作り。我々も含めた来場者への声がけ。待ちのあちらこちらで発生する町人スタッフの皆さんとのコミュニケーション。それが楽しくて、劇などを一通り見終わっても最後の時間までいたいと思うのです。あれは素晴らしい。

一方、太秦映画村は、雑。皆さん、割り切ってやっている感じ。朝いちばんの時間だったからか、忍者の格好をしたお姉さんが(おそらく私物の)リュックを担いで歩いている・・・これくらい普通です。映画セットですから、あちらこちらに重機が入って建物を作っています。一方で、撮影らしきものをやっているわけでもありません。なので、歴史の世界に没入することもなく、見るべき遊ぶべきものもそれほどあるわけでもなく、中途半端な印象です。

東映という大きな力がありますから、プリキュアやらなにやらコンテンツはたくさんあるのですが、十分に生かし切れていませんね。残念。

 

ということで、娘は、偶然何かのアトラクションで一緒になった東京から来た小学校1年生の女の子と仲良くなったせいで、一緒に遊びたい、まだ映画村にいたい、とごねましたが、見るべきものもなくなってしまったので早々に退散。清水寺に向かうことにしました。

4日目:清水寺


ILCE-7

お約束の風景ですが。

 

とにかく外人さんが多い。アジアの方を中心に9割がたが外人さんではないでしょうか。日本語が聞こえてきません。日本人はマナーがいい、なんてことを言うつもりはありませんが、アジアの方はあまりマナーがよろしくないですね。人が多くても避けない、立ち止まる、写真を撮る・・・などなど。加えていちいち声が大きいというか、うるさいのです。


ILCE-7

こちらもお約束の風景。

で、今回の清水寺訪問で、京都はわざわざ足を運ぶ必要はないのかなぁ・・・なんて思ってしまいました。雑然としていて、古都のそれらしい雰囲気に浸ることなんて無理ですね。ちょっと残念でした。

もちろん、日本の雰囲気になじむように浴衣を着て、周りに迷惑をかけずに観光をしている方もたくさんいました。そういった方と一言二言、挨拶ができたりしたことはうれしいことでした。

時系列では逆になりますが、これも清水寺。

映画村を離れたことと、かなり疲れがたまっていることと、あわせて娘のテンションは低いままでした。テレビなどでよく見かける風景を目にすればちょっとはテンションが上がるかなぁ・・・なんて期待したのですが・・・まだ早かったかな(^^;。

でも、成長してテレビで見たり、授業で学んだり・・・となった時に、思い出してくれたらいいなと思います。

4日目:かき氷

娘の真の目的はこれ。それもよし。

相棒はこちらで八つ橋をゲット。わしと娘はかき氷を口にして満足。

4日目:藤菜美、お団子と抹茶

こちらでお団子と抹茶を。

相棒と新婚旅行に来たときに、この産寧坂で団子を食べたのですね。それで来てみたのですが・・・ちょっとイメージが違いました。もうちょっと小ぢんまりとしたお店だったきがするのですが・・・。

まぁでもとってもおいしいお団子でした。満足!!

4日目:産寧坂

さて、この坂を上ったら京都を離れます。産寧坂は良い雰囲気ですね。横にそれているからか、いくらか静かで良い雰囲気でした。

これから滋賀に向かいます。

4日目:近江神宮

最後はこちらで参拝。

お参りをして、帰りに社務所で御朱印をいただきます。

桜門は残念ながら工事中(T_T)。

本来であれば真っ赤な美しい門を見ることができるはずだったのに・・・残念。

参考に桜門の写真たち

4日目:坂本城趾

近江神宮を出て、敦賀に向かうのですが、せっかく琵琶湖の近くを通っているので、立ち寄ってみようということになり、道路わきにある公園のようなところを見つけたので駐車場に車を入れました。

十数メートル先には琵琶湖が見えます。琵琶湖に向かっていると、「明智光秀像」と「坂本城址」の看板が。何という偶然。ちゃんといわれのあるところでした。

で、琵琶湖です。でかいですね。瀬戸内海と似たような規模にすら感じます。

娘が見つけました。「これめだかの?」と。

最初は何のことやらよくわからなかったのですが、よく見てみると「オオカナダモ」=「アナカリス」=熱帯魚屋さんやペットショップで1束3~4本が100円で販売されているものです。

それが、あほみたいに湖の中に浮いていたり、湖岸に打ち上げられたりしているのです。いやはや。ありがたいので、袋に突っ込んで持ち帰ることにしました(^^;。

4日目:新疋田駅

琵琶湖を離れ、峠道を超えて福井県に入りました。敦賀の町なかまであと少し、ということろで娘の「トイレ」宣言。

この山の中でどうしよう、と焦りましたが、車で走ってすぐのところに駅舎を見かけたので立ち寄り。ラッキーなことに比較的新しい駅舎で、トイレもきれいでした。

駅舎の中は、鉄道写真が壁中に貼ってあって、どうやら鉄道好きの人たちが集まるスポットになっている模様。何か理由でもあるのかな?

駅舎の中で写真を見ていると踏切のおとがなりました。

なんだろう?とホームに出てみていると、サンダーバードが駆け抜けていきました。ピントがややずれてはしまいましたが、スマホで撮影したにしてはなかなかよくできた流し撮りではないでしょうか。これは登りのサンダーバード。直後に下りのサンダーバードも見ることができて感動。みんなテンションマックスでした。

すると、散歩途中の近所のばあちゃんが入ってきていろいろ教えてくれました。

この駅舎、10年前だったかに市が買い上げたものだ、とのこと。その時に駅舎を新しくしたんで、いつでも使っていっていいよ、だそうです。写真を撮りにホームに入るのも自由だからいつでもどうぞ、と。ばあちゃんの許可がいるものではないでしょうが(^^;、そういう経緯があるのですね。

子供のころに特急白鳥や特急雷鳥に乗って大阪に向かうときに、時刻表で「疋田」という名前を見た記憶があります。その頃は読むことができない感じでしたが、まさかこんな経緯で立ち寄ることになるとは思いませんでした。これも旅ですね。

4日目:締めははま寿司

無事、敦賀に入りました。

直前まで夕飯はマック!と強硬な姿勢を示していた娘ですが、相棒が「はま寿司」があるね、と言ったとたん陥落。なんか、ここ数年、旅行の締めは「はま寿司」みたいな流れができていますね。家族全員寿司大好きなので大歓迎。

4日目:敦賀、越の湯

夕飯を食べ終えて、敦賀のお風呂・・・越の湯に入ってすっきりして帰ったら寝るだけにしておきます。

ちなみに、当初の予定では夕飯はマックにする=車の中で食べる予定だったので、出発の予定時刻を1時間ほどオーバーしています。さて、これがのちのちどう響いてくるか・・・(^^;。

ここから387キロ。安全運転で帰ります!

4日目:尼御前SA

福井県を抜けて石川県に入りました。

娘は眠りに入りました。疲れたんでしょうね。わしと相棒は、外の空気を吸いにちょこっと車外へ。飲み物を買って、ますのすしハーフサイズを買って再出発です。

4日目:小矢部川SA

ここまで順調。

4日目:米山SA

途中、大潟で限界がきたので20分仮眠。復活。

米山でトイレ休憩&軽食をゲットして後は一気に帰る・・・予定です。

4日目:到着

無事帰りました。

取り急ぎ、娘と荷物を車から出して家の中に放り込みました。寝ます。8時まで5時間・・・ガタガタの体はもう2~3日戻らないと思いますが、まずは寝ます。おやすみなさい!!

広島の旅:4日目まとめ

81.9+110.4+467=659km

<クラウンパレスホテル神戸~太秦まで>

 

<太秦~清水寺~近江神宮~敦賀:越の湯>

 

おみやげ!

家族お揃いの箸をこんぴらさんでゲットしてきました!

広島の旅:まとめ

愛車プリウスでの移動距離合計

1日目:817km/2日目:175km/3日目:182km/4日目:659km

合計:1833km

 

いやぁ、走りましたなぁ。

今は便利なもので、Googleのマップで自分が移動した履歴を全部把握することが出います。さらにはSONYのLifelogアプリでも同じことができます。

なもんで、途中で道に迷った分も含めてほぼ正確に移動した記録が残ってくれています。自動車での移動に加えて、カブトガニ博物館では子供たちと本気で追いかけっこをして、こんぴらさんに上り、姫路城に上り、太秦映画村を歩き回り、清水寺に上り、ついでに産寧坂も上り・・・と、アクティブに動きまくった旅でございました。

充実。家についてからのだるさは半端なく、3日ほどは体がふわふわして変な感じでしたが、それも含めて楽しかった。素晴らしい旅行をすることができました。

ピースが新発田にきます

お笑いコンビのピースが新発田にきます。そのチケットに当選した模様。相棒と娘でいってくるようです。羨ましい。

2016 睡蓮14、グレッグスオレンジビューティー

旅に出ている数日の間にいくつか咲いて枯れていった花があるようですが・・・あえてカウントしません。帰ってきたら見事に咲いてくれていました。