独り言に近い状況のtwitterやら何やらで、根拠の薄い独善的なヘイトスピーチや誹謗中傷を垂れ流してる人って、本当に勿体無い。 そんなことすぐやめて、現実の世界で何か行動を起こせば、今より楽しい時間がきっとそこにはあるのに。
— 樹林伸(ドクター・ホワイト@野性時代) (@agitadashi) 2015, 7月 14
「✖︎✖︎は⚪︎⚪︎なわけだが」「この人叩かれてるけど」等、既知の事実のように狭い環境の情報を前提に語る人がtwitterでも増殖中。それどうみても世論とかけ離れてるよな、実数からしたら少数派の意見だよな、と思うこと頻り。ネットの意見が自分本位で濃縮されてる現実を認識して欲しい。
— 樹林伸(ドクター・ホワイト@野性時代) (@agitadashi) 2015, 7月 14
特にこのネット濃縮に気づかず、メジャーだと信じている人、原発問題と政治の右左に多いように思う。 そうなると、思想や信条は宗教に近いものになっていく。 そうなると、他人の否定的な意見はもはや、雑音にしか聞こえない。
— 樹林伸(ドクター・ホワイト@野性時代) (@agitadashi) 2015, 7月 14
◆金言と言ってよいのではないでしょうか。ちなみに、この樹林伸さんがどのような方か、というのはWikiでご覧くださいませ。
◆今やテレビがネット上の話題を一般的な世論として扱ってしまっているような側面すらある状態。何かしら報道する話題ごとに、「ネット上では」という枕詞を耳にする。そうするとなおさらネット上でしか活動できないような人は自分たちの意見や立ち居振る舞いが世論を形成している、世論を率いているような錯覚を持ってしまう、なんてことになってしまうのではなかろうか。
◆以前にドワンゴの川上さん(とおぼしき人)が「ネットの住民は現実世界で議論ができない人だ」というような記事を書いていたことがあったが、これも同じことであろう。自身の意見や信条が全て正しいものだとか世間一般の世論と同じか近しいものだと勘違いするだけならまだ良い。議論の可能性までは否定していないから。しかしこれが、樹林さんが書くように
他人の否定的な意見はもはや、雑音にしか聞こえない
状態になってしまうとまずい。議論の可能性が否定されているだけでなく、ともするとそれが他者への攻撃のきっかけになってしまうかもしれないからだ。攻撃にも様々な形があるだろうが、他者を否定し、ともするとその存在すらも認めないような、消し去ろうとするような思考や行動になっていくとしたらそれは本当に危険なことだ。禁教令からの踏み絵、弾圧のような動きや流れと同じだ。過去の歴史で犯したような過ちを犯してはならない。自身への戒めとして書き留めておきたい。