この冬、大雪で電車が立ち往生して大事件になった東光寺駅・・・娘を迎えるためにフラフラとドライブしていたらたどり着きました。驚き。
良い天気だったもんで駅の目の前にある田んぼ道のあたりで風さん散歩を。少し風(かぜ)は強かったけれども元気よく歩いている風さんを見てうれしかったです。
同時に、娘がいなくて相棒と二人の時間を過ごすという違和感と懐かしさがありました。でもまぁ、相棒と過ごす時間はやっぱり楽しかったです。
散歩をしていたら駅から「電車が通過します」のアナウンス。
近づいてみると「しらゆき」がこちらに向かってきていました。急いで写真を撮る準備をする相棒とわし(^^;。わしゃ確かに子供のころから電車が大好きでしたが相棒、いつから電車に興味を持つようになったのか・・・職場の先輩から良い影響を受けているみたいですねぇ!
大冒険です。娘が一人ではとこの家に泊まってきます。
娘、このはとことは同い年でして、初めて会って遊んだ時から不思議と合うんですねぇ。波長といいますかよくわかりませんが、よく合うんです。噛み合ったりはしないようなのですが、ずっと遊んでいられるみたいなんですね。
そんな中から、「じゃあ泊まりにいってこいよ」「行ってみたい!」なんていう軽いノリで決まった今回の企画です。
ですが、色々あるのもわかってます。いろんなところに手間をかける。娘自身も親がいない環境が長くなっていくことでいつもとの違い、違和感を感じてくるでしょうし、そうなったとき果たしてどうか。
何かあったらすぐに新発田から飛んでくるつもりで。でも娘の成長に期待して。皆さんに感謝して。
じゃーん。さくらスペシャル。イチゴたっぷり。
これが全体像。
相棒曰く、「やまの辺(リンク先はGoogleマップ)」さんのロールケーキや有名だそうで、ホールでとなると1000円ほどなのですが、家族3人、ケーキ6個分と考えるとまぁ妥当なお値段。
実際クリームがちょうどよい甘さでおいしかった。新発田は古くからの待ちだけあって探せば名店はたくさんあるのですねぇ。良い散歩でした。
プリウスのタイヤとオイル交換、約7,500円。
冬の期間の燃費、18.6kmなり。まずまずかな。
歩く様子を動画で。
まぁ親ばか・・・バカ親ばかりなのは見逃してください・・・娘がどんどん母親に似てきているのは心配ですが・・・我が家らしいといえば我が家らしい(^^;。
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終わりましたね。
時間はずれますが、「いいとも」「めちゃいけ」「みなさんのおかげです」と、子供のころからある程度の年齢まで見ていた番組がどんどん終わっていきます。
「めちゃいけ」「みなさんのおかげです」はネット上での批判も多かったし、たまに見ても「なんだかなぁ」と思うような内容も多かったので特に感慨もないのですが、批判が多かった割にここにきて「惜しむ」ような声が増えているように見えたことにも違和感がありました。
果たして、みなさんのおかげですの最終回視聴率は上がって9.7%。これが高いか低いかはわかりませんが、YouTubeなどが席巻している世の中、テレビってこんなものなんだなぁと。
一方では?同時に?・・・ネットネット、と言っていますが、ネットで声高に叫んでいる人たちはあんまり世論の中心にないんだなぁとも思うわけです。現実世界で発散できない=現実世界ではマイノリティである人が、それを発散する場として適当なのがネットの世界なのだろうと。現実世界で受け入れられやすい思想・考え方・行動をしている人はそこで満たされるわけなのでわざわざネットに行動の場を移す必要がないのですね。
ネットの世界でも実名主義のFacebook > 匿名だけれどもつながりやすいTwitter > 匿名・不特定の某掲示板・・・という感じて、不透明さが増せば増すほどそこで意見を述べている人の考え方はよりマイノリティに偏っていく感じがします。そしてそれをテレビが面白おかしく世論(であることは間違いないのですが)として「ネットでは」と喧伝すると、そういった人たちは自分たちがマジョリティであるかの如く勘違いをする可能性が高いわけで・・・面白い世の中だなぁと思ってしまうわけです。
二年たってようやく見ることができました。時代の終わり。子供の頃、よく知らない有名人の訃報をばあさんや母親がテレビで見て、その有名人の解説をすることがありました。そのときは興味のかけらもないわけで完全に聞く耳を持っていないわけです。
巡り巡って自分がそのような年齢になってみると、時代の変遷に対するこの不思議な気持ち、何とも説明のしようもない気持ちがあることを知りました。
まさかあのドリフのチョーさんが亡くなるなんて、あの空虚な気持ち。あれくらいから自分も少しずつ自分の年齢や寿命、家族のことをいろいろと考えるようになった気がするのです。よけいに涙もろくもなった気がしますし。
大げさかもしれないけれども自分の知っているものがなくなる、終わるということは、自分の年齢もそれだけ積み重なっていることを意味するわけで、その先にあることをぼんやりながらイメージしてしまうことへの感慨もあれば恐怖もあれば・・・そんなわけでいいともの最終回を今まで見ることができなかったのだと思います。
見てみればもちろん素晴らしい番組だったし、長い時間第一線で活躍している人たちの理由のようなものも垣間見るのとができた気がするし、そして鶴瓶さんがタモさんを評した「この人は年齢国籍問わず誰に対しても平等、褒めもしないけど叱りもしない、そして緊張しなくていい。だからいつでも戻ってこれる港のような人だ。港をなくしたら皆、路頭に迷う。なくしたらあかん。」という言葉に感動した次第です。
港のような人、なりたいなぁ。なれるかなぁ。
今週、娘は午前で放課となります。なもんで、娘とお昼を食べに来ました。娘の要望に合わせて昼からお寿司・・・はま寿司ですけど・・・外食ですからね十分贅沢ですよ。
娘が喜んでくれれば。
一方で、今年の家族旅行実現に向けて我慢させるところは我慢させるという方針。どのあたりでバランスをとってくれるか。今の娘ならちゃんとしてくれそうです。
学校で使ったプリントやら何やらを大量に持ち帰ってきたのですが、その中の心の指導のようなプリントを見ると、娘なりにそのあたりいろいろと考えながら自分の中で、また自分と友達の間でバランスをとりながら頑張っているみたいなのです。感心しました。ちゃんとまっすぐ育ってくれているようで何より。大したもんだ>娘。