我思う、ゆえに我あり

◆ご存じのとおり、有名なデカルトの言葉でございます。この手の学問には全く手を出したことがないので、はたしてデカルトという人物の詳しい部分はわかりませんし、その言葉の本意さえも間違ってとらえてしまっているのかもしれません。

◆けれども、人間は考える葦である、なんていう言葉もあるように、考えること・悩むことが人間であることの証明でもあると思っておる次第でございます。

◆さて、今回考えてみたいのはホットな話題としてテレビのニュース・・・ワイドショーというのが正しいでしょうか・・・に取り上げられたと思われる、某俳優たちのTwitter発言問題でございます。

◆1つめ。「原発反対」
 さて、あなたは原発に反対ですか? そしてそれはなぜですか?
 おそらく原発に反対しているほぼすべての人が原子力発電のリスク=放射能の怖さを一番の理由として掲げていると思います。細かなことを言えば、日本が被爆国であることを理由としている人もいれば、原子力発電所の問題を利湯にしている人もいるでしょう。

 わしはどちらかと言えば、安全であればよい、です。今回の件をうけて不安に感じたのは確か。けれども、それでもなお安全であればよいという意見です。なぜなら、原子力発電がなくなったら電力供給に問題が出るであろうから、です。電力供給が安定して必要な分を確保できるようになるのであれば、リスクの高いものから排除していけばよいと思います。

 現状で反原発、脱原発を訴えるのであれば、そのようなことを念頭に置いたうえで訴えていく必要があるわけで、反原発、脱原発だけを訴えるネガティブな活動だけをするのではなく、ポジティブな代替発電の案を考えていくような活動もしていってほしいものだと思っています。

 どのような場面でも、ネガティブな人はいます。問題は必ず存在するもので、その問題を考えて解決していくことが人間の営みであるとすれば、解決する方向で模索していくことが求められるといえるのではないでしょうか。ダメ、NOということが問題の解決に至る場合もあるでしょうが、原子力発電についてはそれは当てはまらないでしょう。

 妙に国策に影響を与えている(勝手に影響を受けた総理が悪いだけかもしれませんが)孫さんの存在・活動も若干いぶかしい感じはしますが、それでもポジティブに解決策を提示する姿は正しいものであると考えます。

 反原発、脱原発を訴えている人は、一般の人以上に節電に心掛け、移動は自転車にして・・・という活動も並行してやっているのであれば、説得力も増すでしょうがそこまで皆が徹底できているとも思えません。今の苦しい状況では節電は皆が協力すべきもの。そして将来的な大きなテーマとして安全でクリーンなエネルギーを探し出す努力をすること・・・我々一般人ができることではありませんが・・・が今できる精いっぱいのことではないかと考えています。

◆2つめ。「韓流反対」
 これは・・・ねぇ・・・ナショナリズムなのでしょうか?
 個人的には国・・・生活が苦しい状況の時ほどナショナリズムがおかしな方向に行きやすくなる・・・そんな風に感じていますが、今の日本はまさにそういった状況なのでしょう。日々の生活が苦しく、夢も持ちづらい世の中、心のどこかにたまっていく不安・不満のはけ口の1つが、人によってはナショナリズムへの傾倒となるのでしょう。
 つまりは、ナショナリズムに限らず他を攻撃し圧倒したり排除していくことで優越感を感じ、そこに心の平静・安定を求める人がいるということです。

 で、「韓流」です。
 わしは危険な状態のナショナリズムには反対であり、かつ今のマスコミの姿勢も容認できるものではないと思っています。物事をすべて面白おかしくとらえ、人々の興味をいかにひくかに執着し、中長期的な視点で分析をせず短期的な視点で白黒だけをつけようとする・・・その場しのぎの刹那的な快楽を与えるツールにしかなっていません。

 そんな人たちが作っている「番組(コンテンツ)」が面白いもの、視聴者を真に満足させるものになっているわけがないんです。「韓流」が真にお面白いものかどうかは別として(見たことがないので)、そちらに傾倒する人がいるということはそのコンテンツに満足感を持つ人がいるという事実です。日本人が作成するコンテンツよりも魅力を感じる人がいる=日本人が作るコンテンツは以前よりも面白くなくなってきている、質が落ちている証左です。

 だから日本のテレビコンテンツが悪いとは言いません。けれども、昔ほど執着して毎回必ず見ないと気が済まない!!というようなコンテンツは今のわしにはありません。魅力が落ちているのは確かです(自分が年齢を重ねたというのもあると思います)。
 今、面白いと感じるのは無駄な作りこみのないドキュメント、主にスポーツだけです。ニュースに至っても報道の姿勢が姿勢ですから、恣意的な感がぬぐえません。

 そんな状況ですから、「韓流」が悪いとかフジテレビが悪いとかではなく、日本のプロデューサーもっと頑張れよ、というのが正しいのではないでしょうか。魅力を感じる人がいるコンテンツを入ってこないようにする=何の意味もないナショナリズムで鎖国を作り上げてしまったら、さらに競争が発生しなくなりコンテンツの質の低下が進むだけではないでしょうか。

 求めているのが、真に満足できる日本製のコンテンツなのであれば、それがちゃんと生まれてくるように日本のプロデューサー・クリエイターを叱咤するべきなのであって、他を排除するスタンスに持っていくべきではありません。異文化の排除=意味のないナショナリズムは今の日本の生活が危機的なレベルにあることの表れであり、それを推進していくことはそこに何も生むことにはならない空虚な活動です。

 テレビ番組に限らず、日本製のコンテンツが自信を持って海外に持っていくことができるような、そんな状況を作り上げていくためにも、グローバルな世の中ですから、鎖国的なナショナリズムは排除していかなければないと考えています。

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