こんな記事(2013/11現在、リンク切れ)をみかけました。
◆「くらもとそう」さんはよく知りません。「ほたるぅ~」の人なんかな・・・という程度の認識しかありません。けれども、テレビという世界・・・業界では確固たる地位にいる人で、その世界の中で生きてきた人であることに間違いはないわけです。そして、そんな人が「テレビに絶望」してしまったというのは衝撃的なことです。
◆まぁ、あれくらい芸術性を大切にした作品をこだわって作る人ですから、はたして倉本氏の欲求する境地がどれほどの高みにあるのかはわかりませんし、それが世の要望に合っているのかどうかでいえばあっているとは限らないでしょう。
◆でも、今のテレビは世に合わせすぎですよね。こだわりがなさすぎる。クイズがはやればクイズ、単発コントのお笑い番組がはやればまたそれへ・・・と、見渡してみれば、どの曜日のどのチャンネルを見ても同じような番組しかないんですよねぇ。
◆確かにサービス業ですから、周りが求めるものを提供して何ぼっていうのはわかります。それに対して、自分が信じたものを究極まで高めて、研ぎ澄まして提供するっていうやり方もあります。ただ、それが極端になりすぎてしまってもどうか、っていうことだと思うんですね。今はどっちかによりすぎている気がします。もうちょっと中庸があっても良いのではないかと。そこにもニーズはあるのではないかと。
◆特にテレビって人々に大きな影響を与える力を持っているメディアじゃないですか。大きいんですよ、とっても。だから、その力を持っている人たちは自分たちのやっていることの大きさに気がつかなければならないんだと思うんですね。その上で情報を提供しなければならない。単純に「視聴率」なんていう数字だけで判断してはいけないんだと思うんです。
◆多少視聴率が悪くとも、それが将来的に大きな必要性があるものなのであれば、それはやり続ける意味・意義・義務すらあるのではないかと思うのですね。それをわしが見るかどうかは別ですがね。
◆・・・と考えてみれば、わしらの仕事も同じなんですわね。偏差値というもので子供たちのすべてを判断することに果たしてどれほどの意味があるのかどうか・・・1つの観点であることは間違いないですけどね・・・でもそれだけになってはいけません。でももしかしたら市場の皆さんは偏差値のほうがわかりやすいと思っているかもしれない・・・となれば偏差値を無くすわけにもいかず・・・難しいところであるのですよ。市場から乖離するわけにもいかず、市場に寄りすぎるわけにもいかず・・・そのあたりをしっかりと判断できて、しっかりと結果を残すことができる学習塾でなければ生き残っていけないのでしょうね。
・・・もちろん「結果を残す」の意味もしっかりと考えなければなりませんしね。大変です。