冷静である、ということ

今日は会社で大切な会議がありました。毎年ある会議なのですが、参加する回数を重ねれば重ねるほど、この会議で発表することが大きなプレッシャーになります。

勤めている会社はとてもクレバーな人たちが集まっており、議論の場でのダメだしも、その人の人格の否定をするような人はいません。あくまでも、その人の考え方・・・発表する計画や報告の内容を吟味したうえで、その発表の内容について指摘が入ります。

「だからキミはダメなんだ」ということにはなりません・・・何度も同じ指摘やアドバイスをしても変わらない場合はそうなるでしょうが、そういう人間は少ないですし(その意味でもクレバーな人が多いですね)、あくまでも「取り組んだ結果を検証し、取り組んだ姿勢や取り組むにあたっての考え方に誤りがあれば修正する。そして、次には成功するようにみんなで知恵を終結する。」という考え方で会議の場が形成されています。

それでもやはり、失敗した部分を指摘され、その部分について議論を重ねる中心にいるのはなかなか苦しいもので、できればそこから逃げ出したいと思うこともあるのですが、それでも自分の会社は社員をあきらめず期待をして仕事を預けてくれていることがよくわかるので、逃げずに諦めずに頑張ろうと思うことが出来ます。厳しい環境ですが、やりがいのある環境で働くことが出来ています。

会社のクレバーな人たちを見ていると、とにかく冷静であることに驚きます。仕事柄、言葉が多くなりがちではあるのですが、議論をしていてヒートアップしすぎることはありません。それは、相手の人となりを否定するような議論になっていないことがわかるから、ということもありますが、皆、そういったことがちゃんと身についているんですよね。人は否定しない。仕事のダメだったところ、失敗したところ、改善点があるところを否定して、次につなげるのです。苦しいですけれども建設的。

そういった考え方や姿勢を、会社から離れたところでも生かせるといいなと思うわけです。特に家で。

 

家族は会社の仲間よりももっともっと近いところにいますので、ついぞその悪いところに目が行ってしまい、その部分を否定してしまいがちですが、それはまったくもって建設的ではありません。だいたい、「他者の悪く見えるところ」というのはその人がそう思っているだけでですね、悪いとは限らない場合も多いのですよね・・・いやむしろ悪くないんでしょ。特に夫婦なんて、20年も30年も全く違う文化・社会の中で生きてきた人間が1つ屋根の下で暮らしているわけですから、是非の基準も違うわけですよ。そしてその是非は法律やルールではなく、「自分はそう思う」とか「自分(もしくはその周辺の人たち)はそうだった」という程度のものでしかないのですよ。そんな自分勝手な自分のわがままを基準にして、「相手が非である」ということ自体が間違いなわけですよね。

ですから、家族の中ではそういった付き合い方になるように心がけてはいるのですが・・・難しいですね。それこそ、何十年もかけて身についたネガティブな思考はそう簡単に抜け切るものではなく、むしろ普段の言動なんかに反映されてしまっているんだと思います。まさにマイナスのスパイラル・・・貧しい人が貧しい環境からなかなか抜け出せない、なんていう話を耳にしますが、そういうことなんだと思うんですよね。

でも子供や、将来生まれてくるかもしれない孫のことを考えたときに、自分のところで少しでもそのマイナスのスパイラルを断ち切らねばならないと強く思うのです。もっと歯を食いしばれるはずだぞ、と。もちろん、中には歯をくいしばることが出来ない人もいるわけで、なんでもそうでなければならないというものではありませんが、自分はそうしたい。できるだけ。

また同時に、苦しい時は人に不満をぶちまけたり愚痴を聞いてもらったりすると楽になるわけですが、それもですね、何でもかんでもそうすりゃいいわけでもないと思うわけですよ。だって、本人は楽になりますが、不満とか愚痴っていうのは聞かされる方にとってはただただ鬱陶しいだけでして・・・少し前に「迷惑をかけない」という記事を書きましたが、そこに通じる話ですね。だもんで、あちらこちらで人の悪口とか、愚痴とか不満をところかまわず、相手かまわず、相手の気持ちも考慮せず・・・何も考えずにはき出しているような人はやはり情けないですね。

だから自分はできる限り歯を食いしばりたい。本当に苦しい時は、相棒に宣言します。「今しんどいから勘弁」と。で、愚痴を聞いてもらうことはあります。でもそこまで。いちいち人に絡んでいく必要はないのです。それが自分を楽にするためのものでしかないのであればなおさら。それこそ、自分のことに関しては気づいていない人の方が多いのでしょうし、気づいたところで何とかできる人は少ないのでしょうし。

 

てなわけで、努めて冷静でありたい。そしてやはり人に迷惑をかけるようにはしたくない。

まだまだうまくいっていないことが多いですが、それだけ変えられる余地も多くあるということだと思うので、少しずつでもよくしていきたいな、と思う次第でございます。