さて、今朝の話。
仕事のこととかいろいろと考え事をしながら車に乗っていたところ、羽鳥さんの番組に元政治家(大阪府知事、大阪市長)の橋本さんが出ていた。論鋒鋭すぎて聞いていられないこともあったのだが、テーマが「自己責任」と興味があるものだったので、解説の玉川さんとの掛け合いにも興味があり耳を傾けた。結果、とても面白かった。
まず「自己責任」の考え方、捉え方について。「自己責任」というのは、自身が原因で起こったことについて自身が受け入れる覚悟があるかどうか、について出会って、世間で話題になっているようなこと・事件が起こったときに国が税金を使ってわざわざ助ける必要があるかどうか、という議論は関係のないことだという説明。なるほど。
例えばそれで捕らえられて3年間自由が利かず、大変な思いをしたのは自己責任であると。でも、だから助けないというのは別の話。
ではなぜこんなにも批判の的になっているかの解説には特に納得。
民主主義にジャーナリズムは必要である。納得。だからジャーナリズムを大切にせよ、批判するべきではない、と短絡的に結びつけて良いものではない。その通り。
捕縛されたかのジャーナリストは、表現方法や態度に問題があったため、それが国民感情を逆なでした可能性はあり、それは日本人であり日本の文化である以上は有りうることである。だから、そうならないように配慮はあってよかった。加えて何よりも、国民がそのジャーナリスト(団体である場合も個人である場合もあるが)の情報・活動が必要と考えて、利益があると感じていればあのようなことにはならないはずだ。これが一番納得。
今の我々は国内の政治=目の前にある生活に不安や不満があって、その問題解決・課題解消に一番の興味があるのであって、海外のことも大切なのかもしれないが、それよりも前にろくなことをしない政治家がいて、するとそのおかげで我々は迷惑をこうむっているのだ、生活は苦しいし、というような不平不満が渦巻いており、そんな中で納めた税金がある個人のために使われることに納得がいかないのだと思う。ろくなことをしない政治家に対する批判に似ているのではないだろうか。
「そんなこと」に税金を使う前に、我々の日々の生活をよくするために使ってくださいよ、と。
「そんなこと」に語弊はあるが、後半は間違っていないと思う。そういった意見を通すためにそれっぽい言葉として論拠とされているのが「自己責任」という言葉なのだろう。なにせそれっぽく聞こえる。
だからこそ橋本さんの表現はとても納得いくものだった。このジャーナリストの活動のおかげで政治の公平性が保たれたり、なかなか明るみに出てこなかった不正が暴かれたり、ということがわかっていれば、こんなことにはならない。加えて、日本人の文化・気質からくる態度の問題。「海外では」という枕詞を使う人をテレビでよく見かけるが、「それでもここは日本だし」と思ってしまう。
今回勉強になったのは、
- ジャーナリストは民主主義に必要
- 前提として国民が必要とするジャーナリズムであってもらいたい
- 自己責任の理解
ってところか。確かに、自分の子供がアホなことをやろうとしているとしたら、それを「お前自己責任だから自分で自分のケツを拭けよ、親は知らんからな」とは言いませんわな。「自己責任だから覚悟はしておけよ。何かあったら助けてやるからな。」が親のスタンスですな。
羽鳥さんのモーニング、比較的まじめだが、だからこそこれくらいの年齢になるとより見やすい内容にはなっている気がする。