日: 2000年3月7日

宿、芭新萃(はなしんすい) – 2000年 伊勢の旅

2017/9

宿です。芭新萃(はなしんすい)というところ。今でも営業しているようですね。

しかし、まだインターネットもそれほど浸透していなかった当時、これの予約ってどうやったんだっけなぁ・・・ちょっと不思議。支払いとかもね、どうやったんでしょう。性格的にJTBに行って・・・とか絶対やらないタイプですのでね。不思議。


豪勢な夕飯。

よく覚えていませんが、このあと刺身の盛り合わせみたいのが出てきた記憶があります。


露天風呂。

まぁここは堪能しました。何せ平日ですからね、誰もいない。

ごらんのとおり買ったばかりで壊れたばかりのデジカメを持ち込んで、いろんな写真を撮ったのを覚えています。素っ裸で。

夫婦岩 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

これはまぁ有名ですからね。行ってみたかったのですが、同行の皆さんの行く気が全くない感がひどかったのを思い出しちゃったなぁ・・・せっかく来ているのに「あんた来たかったんでしょ」「(車で)待っているから行ってきなさいよ」みたいなノリだったかと。つまんね。

小走りに行ってぱぱっと写真を撮ってさっさと帰ってきましたね。

伊勢神宮内宮 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

正面が五十鈴川にかかる宇治橋。なぜ宇治橋?・・・当時勉強した気がするが全く覚えていない。


お約束の看板。正宮にまで歩きます。


 

内宮の正宮を下から。

さすが伊勢神宮、すべての神社の上に位置する神社。20年近く前の昔の話だからかもしれませんが、ここの空気感はほかのどんなところとも違うものだったことを覚えています。有名な神社仏閣などは数あれども、この伊勢神宮ほどピリッと張り詰めたような、外の世界のそれとは違う雰囲気が漂っている場所に入ったことがありません。

新潟からはそうそう行くことは出いませんが、もう一度行ってみたいところの1つです。ここだけはその品格といいますか、雰囲気を維持していてほしいですね。

おかげ横丁 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

有名ですな。あえて工事現場が入る場所で撮影しているというこれまたセンスのない写真。伊丹空港で壊れてしまったことでカメラへの愛着がふっとび、それが原因でよい写真を撮ってやろうという意識が吹っ飛んでいる模様。

本居宣長宅址 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

松阪城址と同じところにあった記憶。伊勢の人なのですね。

看板を移すことで本体がほぼ写っていないという謎の構図。

松阪城 – 2000年 伊勢の旅

2017/9

松阪城址の丘の上より松阪市内を臨む。


看板。お約束。

ちなみに、せっかく松阪に来たのだから、と松阪牛を食べに行こうと思ったのだが、想像を絶する金額・・・いや普通に考えればそれくらいはするのだけれども、まだ経験の少ない当時のわしにとって、かつ旅行費用を出したことでほぼ財布がすっからかんになってしまっていた当時のわしにとって、その金額は到底出せるものではなかったのでした。

残念。

伊賀サービスエリア – 2000年 伊勢の旅

2017/9

奈良の姉宅に一泊、確かそこで母とも合流したような・・・あれ、母親は別ルート?覚えてない・・・。

なんにせよ姉の運転で伊勢に向かいました。ここは伊賀サービスエリア。サービスエリアだけどここは高速道路ではなかった気が・・・。