5月 102018
 

銀座を歩いているときの馴染めない感がはんぱないな。子供の頃は何度も連れてきてもらっていたことを思うとさらに違和感。知らないってすごいわ。
これから宿に向かいます。

5月 102018
 

初めて高架ホームに降り立ちました。新しいだけあってきれい。

でも、やっぱりここから改札までが遠くで・・・通路がせまくて歩きづらいし、めっちゃ混雑する感じ。はよ工事進めてもらいたい。

5月 012018
 

米沢からの帰りにサンクスを発見。前からここにあったのはわかるのですが、サンクスはもう全部ファミマに切り替わったと思っていたのですが、まさかまだ生き残りがあったとは・・・せっかくなのでサンクスのお弁当か何かを買って帰ろうかと思ったのですが・・・商品(流通)はすべてファミマでした。残念(^^;。

4月 302018
 

満喫しております。

しつこいですが・・・本当は娘と2人で来る予定だったので、わしがガンガン体を動かして攻める予定だったのですが・・・結果、やはり体を動かす担当は相棒でした(^^;。

風さんも熱いようではありますが、頑張って歩いて楽しんでくれているのではないかなと。

今日は家族全員、早い時間に爆睡ではなかろうかと。

4月 302018
 

さて、今日は長岡、越後丘陵公園・・・珍しくXperiaで撮影してますな、この写真・・・どうですか、このくすんだ色(^^;。

ゴールデンウィークだけあったたくさんの人でですが、身動き取れないというほどではなく、ちょっとしたイベントのような遊具もあり、娘も楽しめた模様。

本当は娘と2人で来るつもりでしたが、相棒も一緒に。でも相棒が一緒のほうが娘としてもよりアクティブに遊ぶことができるので楽しかっただろうなと・・・相棒は疲れて大変だったでしょうが・・・。

あったかくて良い一日でした!

4月 292018
 

村上市の諸上寺公園、ここは穴場だと思うのですけどね。ちょうどゴールデンウィークあたりに満開になる八重桜。これを見ながらまったりとバーベキューしながら肉を食す。うめぇ。

4月 292018
 

20分ほどで登頂。いやぁ、良い見晴らしですなぁ。向こうには我が母校もあります。

しかしまぁ、登り始めて親2人はすぐに音を上げそうになっているのに、娘と言ったらもうひょいひょいっと登っていくのです。登り始める前は「着いてこれるかなぁ」なんて心配していましたが、情けないのなんの・・・もう娘のほうが体力あるのではなかろうかと。驚きました。

4月 292018
 

約20年ぶりのお城山ですな。高校生の頃の遠足?か何かで皆で登った記憶があります。たぶん、高2の時。

初めて登ったのは小学生の頃だったと思いますが、娘も小4、自分の足で山に登ってそこから見る景色に少しくらいなら感動を覚えるのではないかと思って連れてきました。

さぁ、登ります!

4月 292018
 

娘が習ったけど難しかったというので解説しつつ理解度を確認するプリントを3枚ほど即席で作成。基本からやや発展のところまで。

まぁ、分配法則なんて文系のワシには興味ないけれども(–;、これは英語の文法のようにそれがなければ先に進まないって物ではないだけに、教える側としては導入が難しそう。やり方だけ伝えても意味ないしねぇ。そういう意味では塾の先生、導入ミスったか?それともわざとそういう伝え方をしたか?

いずれにせよ数週間、お休みするのでそのあたりの真偽は不明も、小4てのは、奥が深い学習をする学年なんだな、と改めて感じた次第。

4月 252018
 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

 

深刻かつ重要な話題。教育業界の隅っこに身をおいている人間としてこの一年ほどずっとこのことを考えてきた。


新潟という地域の学習塾にいて、親の期待感・生徒の期待感とやる気・こちら側の思いの微妙な、でも根本的なズレがある。

おそらく、子を持つ親として「勉強なんてできなくて良い」という親は少ない。表面上は言っているとしても、それは「出来たら良いに越したことはないが」という枕詞が隠れていると思う。もしくは、「勉強はできるようになってもらいたいけれども」のどちらかではないだろうか。もちろん、心の底から本当に勉強なんて不要だと思っている親もいるのだと思うが、そういう親に対するアンチテーゼともいえる内容だ。新潟のような地方としても、通塾率は50%を超える。都市部では7~80%にも達するのではなかろうか。やはり自分の子には・・・という思いの親は多いのである。

 

 

一方で、この新潟には大学を出ていなくてもしっかりと働いてしっかりと家族を養っている人も多い。そこで必ずまた最初の「勉強なんて・・・」という話題に立ち返る。大学に行くべきだ、という論調は、一歩間違えば地方で大学に行かずにしっかりと生きている人たちの存在を否定することにつながりかねない危うさをはらむ。その点は頭の片隅に置いておかなければならない。大学を出ても充実した社会人生活を送ることができていない人もたくさんいる。そんな現実を見るとなおさら、小~中~高としんどい思いをして大学に行ったって必ずしも幸せになるとも限らないんだから、頑張る必要はないというような言い分が幅を利かせてしまうのである。

 

でもやはりそれは違う。

学ぶことは人を豊かにする。人間は「文化的な」生活を送る権利があるのだ。そして文化の土台は知であり、知とは思考であり、思考するには学びが必要だと思う。学びにより先人の知恵を身に着け、それをもとにさまざまに思考することで知識を身に着け、新たな考えに至る、その繰り返しと積み重ねがまさに文化であり、その中で人と関わりながら生きていくことが「文化的な生活」であるといえる。文化的な生活を送っていくには知が、学びが必要だ。

度を超えた、大学に入るためだけの学びは正しくないように思う。それは目的ではない。身に着けた知を思考を武器にして世の中を渡り世にその武器を還元していくことが目的だ。

 

そうやって考えてくると、まさに地方であることはリスクでしかないように見えるが、そこを打破するのはやはり親なのだと思う。どこぞの女性問題で辞職なすった知事がいますが、この人はまさに知という意味では打破した人であった。新潟の片田舎から灘高校~東京大学と進み、医者にもなり弁護士にもなったわけだから。その親御さんは本だけは惜しみなく買って預けたという。それなのに人としての文化的な部分の思考は地方の限界を突破できなかったのだろうか、しなくても良いだろうに大阪府知事に(しかもわざわざTwitterを使ってまで)ケンカを吹っ掛けたり、今回の女性問題を起こしたりという結果を見ると、頭いいだけの常識に欠けた人にしか見えないからだ。いずれも県の代表という看板を背負ってやることではない。

 

ということで、知と文化とこれは両輪、どちらも必要ということになるわけだが、地方にいるとそれだけでそのきっかけを与えられないという不幸が存在するということは間違いない。そういった環境を打破し、学ぶ環境に触れ、魅力を感じ知を身に着けていきたいと多くに人に思ってもらえるような、そのために親がやらなければならないことはどんなことなのか、少しでも役に立てるような活動をしていきたい。

 

現段階では、まずは親は子をしっかりと見て適切にかかわること、これしかないのだとは思っている。

4月 152018
 

雨続きの中、ちょっと雨が止んだもので、新発田駅に置きっぱなしだった自転車を回収しに行きました。その帰りに一枚。

今年は満開の週末が2週続けて雨となってしまいじっくりと桜を拝むことができませんでした。来年に期待!!

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