努力を誉める

さっきテレビで「結果を誉めるのではなく努力を誉めましょう」なんていう内容が放送されていました。親の子供に対する言い方について、ですね。

偉そうなことを書きますが、それは当然のことです。成長して大人になれば、結果にたどり着かない状況の方が長いです。子供のころのように、わずか2週間ばかしのテスト勉強をしたら1週間後にはテスト結果が出て、またその結果をその先に結び付ける必要性もそれほど迫られずにそんなサイクルがどんどんと進んでいく・・・そんなことは大人ではありえませんものね。

小さなゴールを設定して、到達したりしなかったり、しなかったら修正をしてまた別のゴールを定めて・・・というその繰り返しで、いわば結果が出て終わり、なんていうことはないのですから。

それなのに、小さいころからたかが知れているような小さな結果を見てはそれを誉める、そんなことをしていては子供はそれを求めるようになり、それが伴わなければモチベーションを失うことになります。かわいそう。

 

我が家の方針はまさにそれ。例えばテストの結果なんてどうでもいいのです。良いこともあれば悪いこともある。そんなことで一喜一憂する必要はないのです。よかったらそれをさらに好転させて次につなげる。悪ければそれを改善させて次につなげる・・・その繰り返し。それだけ。

テスト結果がよかったらそれはそれで褒めますよ。けど、すぐに「そんなことよりも」と続けて、一番大切なのはその結果にたどり着くための努力ができたことだよ、と伝えます。努力を続けることは心の養分をどんどん消費します。疲弊します。けれども、その訓練ができている人は、少ない養分で努力を維持し続けることが出来るようになると信じています。失敗してもへこたれず、努力をすることに価値を見出すことが出来る人になると信じています。

だから娘には言い続けます。

結果が悪かろうが良かろうが、そこまでの準備をしっかりとやっていればそれは「偉い」ことだし、結果が良かろうが悪かろうが、そこまでの準備をしっかりとやっていなければそれは「何の意味もないこと」だと。踏まえて、やるべきことをやっていれば、子供がやりたいことを制限することも止めることもしません。

そのせいか、日曜の朝、わしが起きるころ(朝の9時頃)には、自ら進んで勉強の取り組んでやるべきことをやって終わらせておく、ということをやってくれるようになりました。素晴らしいことだと思います。ここは本当に褒めてあげています。

 

また、テレビでは「数学は苦手な人は本当に苦手だからね」というような、勝手な思い込みや根拠のない逃げの余地を親が与えるようなことは絶対にしてはいけない、と続けていました。本当にそう思います。「親が数学苦手だったから、数学苦手かもね」みたいなことをいう親の子供はかなりの高確率で数学ができなくなります。それは、子供の中で「できなくてよい・仕方ない」という言い訳が出来上がってしまっているので、それが原因で「努力の余地を奪ってしまう」からだと思います。

親が「できなくてもよい理由」を子供に提示するなんてことはあり得ません。そのセリフは、もしかしたら子供を慰めるために使っているのかもしれませんが、それはあまりにも安直。実は自分だって、今の娘を見ていて想像している以上に様々なことによく頑張っていると思っています。これが学年が上がって、さらにやるべきことが増えたときにどう転ぶか・・・という大きな不安を持っています。けれどもそんな不安は子供の前では微塵も見せません。絶対に。やればできると信じて、その時その時、適正な負荷をかけて乗り越える満足感、自信を与えてあげたい。そう思うからです。配慮して事前にそういった壁を排除するのは優しさではなく、苦しんでいる子供を見たくない、とかそういった非常に安直な理由での親の逃げでしかないと思うからです。子供に負荷をかけ、子供がしんどい様子になっているのを見るのは親としてはとてもつらい。でも、そうしていかないと子供が大人になったときにわずかな負荷で凹んでしまうようになってしまうかもしれない・・・だとしたらそれは子供にとって不幸なだけです。多少のことでも大人になってから凹んでつぶれてしまうことがないよう、育てなければなりませんものね。そのためには親が自分を強く持たなければなりません。

 

私は娘が「自ら可能性をつぶす」ようなセリフを吐くときは全力で否定します。そして、「できないかもしれない」とか「できなくても仕方がない」という可能性や余地を意識させるようなセリフは絶対に言いません。相棒との会話ではそういうことを言うことはあっても・・・実際、数学は本当に苦手ですし・・・それを子供の前で言うことは無しにしていきたいと思います。目の前に自らの能力を伸ばす可能性がある「壁」があれば全力でそれにぶつかっていけるような子供に育てたいですし、子供の前では自分がそういう姿勢を示し続けたいと思っています。