引用:小学生時に「読解力」の決定的な差が生じる理由

◆東洋経済オンラインに「2019/10/29 6:30」に掲載された「印南 敦史」氏の記事の紹介と引用による所感です。記事へのリンクは以下のキャプチャをクリックしてください。

◆以下、長くなるので続きへ。


◆わたし、今は裏手に回っていますが、仕事としては塾に勤めています。地方の塾でもあり、ニーズとしては小学校高学年になってからがほとんどであるため、おおよそ小5とか小6くらいから子供たちと接し始めることになります。もちろん、地方の中でもある程度人口があるエリアはもう少し下の学年でもニーズがあるので、小3とか小4とか・・・ということもありますが、ほとんどが小5くらいからになります。

◆わたし、学生時代は超不真面目だったので、今となってはよくぞニートにならなかったもんだと我ながら感心するほどなのですが、もちろんやろうと思えば取得できたはずの教員免許を持っておらず、塾に通う年代の子ども達ってどういう生き物なのか、という基準が自分の中にしかない状態で仕事を始めたわけです。信じる者は目の前にいる子供たちの言動と自分の経験と先輩たちの言動とアドバイスのみ。それでも、2~3年してたくさんの子供たちに触れて経験値がたまってくるといろいろな疑問が生じてきます。文系担当だったのですが、特に小学生の国語には苦労します。その原因は何なのか、と。

◆おぼろげながら自分なりに出来上がった考えとしては、「子ども達が身に付けている語彙力の差の影響が大きい」というものでした。それは中学生になってから英語やら他の科目を勉強するにも大きく影響するのではないか、という感覚がありました。語彙力と言っても色々あるわけで、

  • 単純にその言葉を見聞きしたことがあるか
  • その言葉の正確な意味を知っているか
  • 正確な意味をもとにイメージ化できるか

みたいな違いもあるわけなので、一言で「語彙力」とくくってしまうのにも抵抗がありますが、とにかくその差が大きいのです。当時子どもたちにはこんな風に説明をしていました。

 

◆「みなさん、「ポテトチップス」という言葉を聞いて何を頭に思い浮かべますか」と。続けて「恐らく今この場にいる人のほぼ100%が同じものを考えています。」と。「そしてそれは、よほどのことがない限り年代が変わっても・・・幼稚園時くらいからおじいちゃんおばあちゃんまでズレることがないと思います。」と。もっと単純に言えば「犬」という言葉もそうです。「犬」と聞いて「猫」をイメージする人はほぼいないと思います。これが正しい状態です。けれどもそれが学年・年齢があがるにつれて一致しなくなってきます。難しい言葉でいえば「具体と抽象の違い」とでも言いましょうか。はっきりとイメージできるものとできないものでは身につき方が違います。「犬」なんてものは程度の差はあれ、小学校に入るくらいまでは日常生活の中に腐るほど存在しているわけで、しかもそれをまわりの大人たちから腐るほど聞かされるわけなので、何の努力もなしに、正しく身に付けることができるわけです。

◆しかし、身近にない言葉はそうはいきません。今の時代はテレビに加えてネット環境が整っているので、「見ればわかる」可能性が高いのですが、言い換えれば「見ないとわからない」という状況に陥りかねない危険性が隣り合わせになっている、とも言えるのです。大人は「見せればわかる」環境に甘えてしまっている可能性があるのだと思います。昔であれば、身近にないものを子供に説明しようと思ったら、説明するために言葉を連ねます。言葉を連ねようと思ったら、説明する側の語彙力が試されます。これは結構しんどいです。子供にわかる言葉を選んでしっかりと伝えようとするとなかなかそれは思っている以上に難しいことなのですが、それを早々に諦めてしまう大人(親)も多いと思われ、そうすると子供は具体的な目で見てわかるものは理解できるけれども、より抽象的なものを理解する力は身につきませんよね、という事になります。

 

◆ということで、小学校の3~4年くらいからその「抽象化」が始まるわけですが、そのベースになるのは具体的な言葉の語彙力でしょうし、そういった言葉をつなげて読んだり聞いたりする力も必要でしょうし、すでにそこに至る前にいろいろな力が土台として身についているかで左右されることになります。そこから先は学年が上がれば上がるほどその差がついていく一方なので・・・つまりベースとなる語彙力の幅が少なければ、その幅の上にのっかる別の語彙力の量も減りますし、そうすると身に付く語彙力の総量も少なくなり、そうすれば抽象化するに必要な武器が足りなくなってしまうので抽象化ができなくなってしまいますよ、と。

◆記事の筆者はそれらをもっと詳しく説明してくれていますので是非読んでみてください。塾の現場で働いていた人間の所管としては・・・当時うまく言語化できないなりに親御さんや子供たちに伝えていた内容としては、「とにかくたくさんの言葉を正確に知っておく必要があるから、学年が上がれば上がるほど辞書を読むことをしなくなるけれども、より難しい環境を求めるのであれば今のうちにしっかりと辞書を使って正しい語彙力を身に付ける努力を忘れないように。」とか「親を中心とした「家族」の中で子供に伝えられる語彙の量はたかが知れており、感覚でしかありませんが小5・小6くらいでは限界を超えてしまっているため、子どもたちのお付き合いの範囲をできるだけ広げてあげて・・・習い事とか何かしらのコミュニティに参加するとか・・・して、知らない人が使う知らない言葉とか知らない表現に触れる機会を広げてあげてください。」とか言ってました。いま思えばまったくアドバイスが具体的ではないですし、投げっぱなしな感じですけどね。

 

◆こうやって考えてみると、子どもに必要な能力は単純に記憶力などだけではないことがわかります。よくわからないもの(状況)に対して諦めずに落ち着いて受け止める・取り組む力が必要でしょうし、家族以外のところから情報を受け取るためには物おじしない心も必要でしょうし、コミュニケーションする力も必要でしょう。だから、勉強だけさせていれば良いってものではないのですが、何にせよ親がしっかりと関わって目の前にいる子供の状況をしっかりと把握して必要に応じて適切な場・環境を提示してあげる、そして提示した中で子供が力を発揮できるような精神面での保管もしっかりとしてあげる・・・などなど結局は親の役割が大切になってくるなぁとつくづく思ったわけです。

◆わたしも言語化して根気強く伝えるという事はもともと苦手なので、娘のおかげでだいぶ強化されているなぁと感じる毎日ですが、これに飽き足らず、これからも修行あるのみ、と感じました。とても参考にするには良い記事であったと思います。

 

<その他参考となりそうなリンク>

 

※リンク先の記事を見てもやはり語彙力って大切だなと思いました。表現を変えて「読解力」と言ってもいいのでしょうが、それ自体が抽象的ですものね。考え方は人によって、状況によって、いろいろと違ってよいのだと思いますが、子どもに触れる大人としてはある程度自分の中でそれを「具体化」しておく必要はあるのかなぁとは思います。

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