9月 112018
 

情報ソースはこちら(ITmedia)


これはなかなかに難しい問題である。

 

「ネット」上で流通している「情報」は真実である必要はない。人のうわさ話と一緒だ。つまり、「ネット」にある情報は「嘘かもしれない」が前提なのだと思っている。しかし、災害時など困難な状況の時ほど、そんなネットにある「嘘かもしれない」情報に頼らざるを得なくなる。そこで問題になってくるのが「リテラシー」なのだろう。

これは情報を流す側のリテラシーもそうだし、情報を受ける側のリテラシーもそうだ。どちらも関わることなのだと思う。

情報を流す側は相手を思いやってのことがほとんどだと思われるが、記事にもあるように悪意を持ってやっている場合もあり、また悪意であるという自覚がないままに流されている場合もあるのが難しい。正しい感覚を持っていれば、自分が流している情報が正しい根拠に基づいたものであるかどうか、またそれが困難な状況に陥っている人たちにとって本当に有益な情報であるかをより冷静に、客観的に捉えて行動に移すはず。

けれども、困難な状況に陥っている当事者でもないくせに、慌てふためいてあまりよく前後を考えずに行動を移す人の方が多いのではないだろうか。

 

例えば、芸能人の「皆さまの無事をお祈りしています」というつぶやきや書き込み。これは、今すぐ必要な情報かどうかでいえば全く不要だ。ひねくれてみれば、「なにも反応をしないことで「この人は冷たい人だ」と思われるのが嫌だから=自分のためを思って、被災地の人を思いやるつぶやきをしているのではないか(被災地の人を思いやる気持ちが本当にあるかどうかは別として)」と言う事になる。本当に困っている人たちにしてみれば、「同情するなら(実のある)助けをくれ」というのが本音なのではないだろうか。

被災地で本当に困っている人が、本当に必要な情報に少しでも早くたどり着きたい、と思っているときに・・・バッテリーは限られていて、通信制限もかかっていて、情報が表示されるのに通常の何倍も何十倍も時間がかかる、という悪循環の中で・・・「頑張ってください」みたいなつぶやきははっきり言って「いらない」情報だ。

そして、被災地で本当に本当に困っている、余裕のない人はそんないらない情報は流さないはずだ。つまり、いらない情報を流す人は本当に困っていない人、ともすると野次馬ばっかりということになりかねない・・・というのは記事を読んでその通りだと思った。

 

大きな災害が起こって大変な状況の時は、「いらない」情報をどれだけ抑えられるかが大切ではないだろうか。その為には、直接被害を受けていない人、もしくは被害を受けてはいても余裕がある人は、「黙ってろ」「お前の時間じゃない」という意識を強く持つべきだろう。

それでも。

(やはり記事にあるが)「かまってちゃん」はなくならない。まったく自分は関係ないはずなのに「便乗」してあたかも災害が「お祭り」であるかのような軽い感覚で騒ぎに加担する人は絶対に存在する。そういう人を抑え込むのは、「リテラシー」なんていうそれっぽい言葉を使って語ったところで、何も変わらないのだろうなぁと思う。

だって、いつの世になっても「野次馬」はなくならないのだから。

 

つまり、少なくとも自分は、そういう軽々しい行動を起こさないようにすることで協力をしていくような、そんなスタンスのことしかできないけれども、そこはしっかりとやっていけるようにしたいな、と思った次第です。

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