終業式

娘から通知表を預かりました。小学生になってから10回目の通知表

4年生、10回目ともなるともう感覚がマヒしてしまって、驚き・感動が薄れてしまいがち。でも、だからこそ、家族から遅れて夕食を食べている間、(行儀は悪いけれども)食卓には預かったばかりの通知表を広げて隈なく目を通した。すると、娘からいろいろな感想が漏れてくる。耳を傾ける。必要があれば意見を言う。これが大切なんだと思う。

良い悪い、というような総括的な評価ではなくて、しかも学校での詳細がわからない状況での親の勝手な想像での押し付けではなく、娘の口から出てきたものに対する意見を言う。だから娘から意見が出てくるのを待つ。待つ。子供の意見を待たない大人はダメだと思う。もちろん、必要に応じて押し付けることもあるし、そういう存在も必要。だけれども、近しい人間ほど待たなければならない。そういう意味では良い時間を過ごせたのではないかと思う。

そして、通知表。わしも小学生のころの通知表は良い方だったと思う。図工と体育が苦手だったからそこは普通の評価だったけれども、悔しい?ことに娘は図工ができる。体育もわしよりはるかにましだ・・・泳ぎは負けないけれども・・・高校生くらいになったら負けるかなぁなんて思っていたけれども、もう小学校の高学年になる頃には娘の完成度には勝てないのかもしれない、と思った。

だからこそ、娘にはさらに伸び伸びといろいろなことを学んで身に付けていってもらいたい。小さい枠組みに収まらずに、広く大きく経験をしてもらいたい。しっかりと背中を押してあげなければならないと思いました。

 

1学期お疲れ様でした>娘。

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