笑っていいとも グランドフィナーレ

二年たってようやく見ることができました。時代の終わり。子供の頃、よく知らない有名人の訃報をばあさんや母親がテレビで見て、その有名人の解説をすることがありました。そのときは興味のかけらもないわけで完全に聞く耳を持っていないわけです。

巡り巡って自分がそのような年齢になってみると、時代の変遷に対するこの不思議な気持ち、何とも説明のしようもない気持ちがあることを知りました。

まさかあのドリフのチョーさんが亡くなるなんて、あの空虚な気持ち。あれくらいから自分も少しずつ自分の年齢や寿命、家族のことをいろいろと考えるようになった気がするのです。よけいに涙もろくもなった気がしますし。

大げさかもしれないけれども自分の知っているものがなくなる、終わるということは、自分の年齢もそれだけ積み重なっていることを意味するわけで、その先にあることをぼんやりながらイメージしてしまうことへの感慨もあれば恐怖もあれば・・・そんなわけでいいともの最終回を今まで見ることができなかったのだと思います。

見てみればもちろん素晴らしい番組だったし、長い時間第一線で活躍している人たちの理由のようなものも垣間見るのとができた気がするし、そして鶴瓶さんがタモさんを評した「この人は年齢国籍問わず誰に対しても平等、褒めもしないけど叱りもしない、そして緊張しなくていい。だからいつでも戻ってこれる港のような人だ。港をなくしたら皆、路頭に迷う。なくしたらあかん。」という言葉に感動した次第です。
港のような人、なりたいなぁ。なれるかなぁ。

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