子供とゲーム

 

◆情報源: ITmedia NEWS

 

面白い記事ですね。まぁ納得。

我が家はゲームOKです。超OK。自身の経験からです。

大人になってもゲームに熱中している人ってそれほど多くはいませんよね。たまにいますが、それは一人暮らしをしていて空いた時間でやることなくてお金はあるから、という程度でしょう。結婚して子ができて、となると自分の時間なんて自動的になくなっていきますから、必然的にゲームの優先順位なんて下がります。まぁ子供のころと一緒でできないとなるとやりたくなるのが性だったりしますので、大人になってからも定期的にやりたくはなるんですよね。けど、ある程度の年齢になってようやくわかったことが、「ゲームやってもそこに何も形が残らない」という虚しさなのですね。ひと時の楽しさであったり、幾ばくかの知識なんかは得られることもありますが、何せ後に残らない。ドラクエクリアしたところで、瞬間的な満足感・達成感があるだけ。

でも、ゲームをクリアするためにあれこれと知恵をめぐらすのは良いことだと思いますし、それにより何かを攻略するためにすべての気持ちをそちらに向ける訓練にもなると思いますし、分厚いデータ・攻略本を読んで解き進めていくというアプローチはお勉強のそれによく似ています。そういう意味でもゲームをやってダメな理由なんて何もないです。

 

ということで、我が家は大人と同様、自らに課されたやるべきことをやってさえいればゲームも含めた余暇の過ごし方に一切の制限をかけておりません。なんなら朝から夜までずっとゲームしていてもよいですよと。「ちはやふる」という漫画に出てくる「つくえくん」の名言、「やりたいことを思いっきりやるためにはやりたくないことも思いっきりやらなきゃいけないんだ」です。やりたくないことを思いっきり頑張る、だからやりたいことができるし、それがこの上なく楽しいものになる。

 

でも繰り返しますがゲームは一時の楽しみで、後には何も残らないのです。そこに絶望されても困ります・・・楽しいと思っていたものが実は虚しいものだ、と気づいてしまったらいろいろとモチベーションが保てなくなりますものね。だからゲームも含めてやりたくないことを頑張った結果のやりたいことはしっかりと用意しておいてあげなければならないと思っているのです。

一般的に勉強がやりたくないことなのでしょうが、我が家の場合は1~2年は努力することが大切であるということ、努力すれば好きなことがいくらでもできること、努力すれば結果は必ずついてくることを体感してもらいました。3年生になってから自主性と計画性を優先し、最初のころはある程度促しましたが、今は自ら進んで「今日はこれ、明日はこれ、明後日は休んで、最後の2日であれとそれをやるわ」なんて言いながら自ら机に向かいます。机に向かうことで得られるものがわかり、結果として机に向かうことの大切さがわかり、向かった分=努力した分、自分に返ってくるものがあることもわかってくれていると思います。今のところは良い傾向。

だからこそ、やりたいことに絶望してしまわないように興味が向く何かを常に用意して、それとの間でバランスをとる、手を抜き息を抜くことの大切さは親がコントロールして作っていく、そういったことも今後は必要になってくるなぁと思っています。

 

・・・なんていろいろ書きましたが、やはり大切なのは親が子のことで精いっぱい悩むことなのではなかろうかと。ゲームNGにする人は、NGにする代わりの何かを用意してあげればよいのだと思うのですが、何せその状況、子供はとにかくゲームがやりたいわけですから代わりの何かなんてあるわけがなくてですね、そこはやはりやらせるしかないのではないかと思ったりする次第です。

 

まぁ、我が家もいつどうなるかわかりませんからね、偉そうなことばかり書いていると後で手痛いしっぺ返しを受けるのだろうな、なんて思いますが、それでも子のことをしっかりと見続け、ともに悩みともに歩みを進めていくという姿勢は変えずに行きたいと思います。

そういう意味では、我が家の場合、じいじ・ばあば、近所の大人たち、近所のお友達、としっかりとお付き合いできる関係があるのもありがたいことだと思っています。うるさく言うのは親の役目、でもそれで足りない関係性を補ってくれる大人が、友達がいる。親がうるさくても他の大人が聞き役になってくれていれば何とかなるもんです。ありがたい。

 

ちなみに、せっかく買ったSwitchも、「今日、やっていいいよ」と言えば気が狂ったようにやるかと思ったのですが、「今日はテレビ見たい」とあっさりSwitchができる権利を放棄しました。最近はゲームをやっても何も残らない虚しさにそこそこ感づいているような気がします。かわいそうではありますが、一歩ずつ大人の階段を上っているなぁとは思っています。自らの心の充実度合いは自らしか決められない、ということ、そしてそれをうまく消化し、今ある自分、今ある周囲に感謝し、受け入れて前向きにとらえること、そういった受け止め方、とらえ方をサポートしていきたいなと。自分がとても楽しいと思っているものが、実は何も残らないものだとわかってしまった時、それが早すぎると楽しさの受け止め方がうまくなくなってしまうのではないかと思っているからです。何をやっても別に楽しくないじゃん=楽しいことなんてないじゃん=嫌なこと頑張る必要もないじゃん・・・これ危険ですよね。だから、やはりのめりこめる何かをしっかりと担保しておいてあげることが大切だなと思っています。将棋の藤井四段なんかは将棋がそれだったのだろうなと。

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