MDR-10RBT

ヘッドホンです。

娘がピアノを始めるときに一緒に買いました・・・が、もちろんその用途はピアノだけにとどまるものではありません。当時は「きっとクラシックを聴いたりするんだろうな」なんて想像しながら、それなら少しでも良い音を聞けるようにと思って用意したものでした。

結果的に、ですが、娘はピアノを演奏することに興味はありますが、音楽を聴くことにはあまり興味がないようで、これを使って音楽を聴くこともあまりありませんでしたね(^^;。

娘がこれを使うのは音を出せない時間にピアノを弾きたいときと、移動中に電車の中でスマホやタブレットで動画を見るとき、くらいです。特に幼稚園児~小学1年生くらいの頃はイヤホンなんて使えませんから、ヘッドホンを使うしかなかったのですね。にしてもでかいんで重かったでしょうけど(^^;。

たまに電車の中でスマホやタブレットのスピーカーから普通に音を出して子供に何かを見せていたり、3DSなどのゲーム機を音を出しながらプレイしていたり、という子供を見かけますが、そういうのを見るとがっかりしますね。ほとんどの親は周りの迷惑にならないように精一杯気を配って子の面倒を見ているのに、そういう一部の無配慮な輩がいることで子育てをする親の心証が悪くなったりもするのですよね。

子供は騒ぐのが仕事ですから、騒がしい子供に対して必要以上に過剰に反応する大人もどうかと思いますが、だからと言って騒ぐ子供を放置したり、ヒステリックになって騒ぐ親もどうかと思いますね。それから個人的な見解として、(これは相棒から身をもって教わったことですが)うるさくしてはいけないような場所には極力子供を連れて行かないのが親の務めだと思いますし、そういうところに連れて行かざるを得ないようなときは、騒ぐ子供を叱るよりも先に、周囲の人に謝る・騒がしいことを親が詫びた上で子供をたしなめるというのが順番なのだと思いますが、恥ずかしさのあまりか周囲に詫びて配慮を求めることをせずに、我が子を叱責するのは間違っていると思うのですね。

子は、自分の親が自分のことで謝罪をする姿を見れば、普通は自分がやっていることの誤りに気付くのだと思います。親が子に責任を持つというのはそういうことなのではないかなと。しっかりとしつけをし、言い聞かせることよりも、まずは親の行動、立ち居振る舞いが子に影響をしていることをしっかりと認識すべしと。つまりは、人前で騒ぐ子供をひたすら叱責するだけのような親は、これすなわちその親の人となりと言って相違ないということです。もちろん、他人に迷惑をかけるような子供の親は、少なくともそれの何かしらの原因となる行動、立ち居振る舞い、言動をしているわけです。そういう認識をもって自らを律していく、それが大人であり親であると。

ふむ。書けば書くほど身につまされる。自分はどれほど修行が足りていないのだろうか。日々精進。1つ1つできないことをできるように。今のところ自分の足りないところは挙げればキリがないので、少しずつでも修正できるところは修正、できる範囲でできることをやっていくのが精一杯ですがそれはしっかりとやっていきたいなと。例えば短気を起こさない、とか。

それらを踏まえての我が家の方針としては、あれはダメ、これはダメ、と制限をするだけの親にはならない。さんまさんではないですが、生きてるだけでまるもうけ、死なない限りは、他人に迷惑をかけない限りは、ルールを破らない限りは何をやってもいいじゃないかと。その範囲はしっかりと教えていこうと。そんな完璧な人間はそうそういないもんで、子供に対して求める内容や言うことが常に安定しているとは限らないもんです。そうすると子供にとってはやっていいことと悪いことの境目がわかりづらくなりましょうし、何でもダメダメ言われている感覚にもなりましょうし、子供はしんどくなっていくでしょうね。加えて、言っている親自身もしんどくなっていくでしょうね。親の中に言うべきことの骨がないことで、その場その場のメッセージになり、その場その場の要求になるので、それに応えない子に対してストレスを感じたりするんでしょうね。それは皆が不幸。

だから、伝えるべき部分の骨を決めて(少なくとも父と母では認識が共有されているべきですね)しっかりとやらせる。子供の状況を見ながら、その骨以外の部分であれば、優先順位をつけて目をつむる部分も必要。その上で、やってはいけないことをした場合はそれは親が背負えばよい、親が責任を取ればよい、その覚悟だけはしておこうと。

 

生きてるだけでまるもうけ。いい言葉じゃないですか。