都知事の働きとメディア

なんかもうね、メディアの悪意しか感じられませんねぇ。小泉元首相あたりはそれをうまく活用したもんで、あたかもそれが「あり」であるかのようにされていますが、ちょっとあれですね。レベルが低いというかなんというか。

小池都知事は当たり前の活動をやったと思うんですよね。公約に掲げたことを難しい中で、少ない残り時間の中でできるだけのことをやった。結果、元の案の中でできるだけ経費を削減するしかない状態であることが確認できたので、都民の皆さん、理解をお願いします、というそれだけのこと。

これが小池さんにならなければ、現状すら明らかにならないまま先に進んでいくだけで、きっとオリンピック直前とかオリンピックが終わったあたりでまた別のマスコミが悪意を込めて、無駄な経費が・・・とかその時のトップを祭り上げるように紹介していくだけのことでしょうに。

なんだろうね、今の日本は確かに皆が幸せという状況ではないと思いますよ。高度成長を終え、バブルがはじけ、頑張っても頑張っても暮らしが豊かにならないような感覚を皆が抱いている。その不満をさらけ出す先がない、その行き場のない怒りを利用するようなメディアの論調、まさに劇場型というか、いかに皆が目を向けるか、目を向けてもらうためにいかに目立つか、そういった観点で本質なんてどうでもいいような記事や報道が目につくわけです。たいして中身のない記事に目を向けさせるために面白おかしく仕立てた、ミスリードをしようと必死なヘッダーを見るともう・・・情けなくなってきますね。

皆が冷静に、本質に目を向けていられれば良いですが、きっとそうはならないわけで、だからメディアは、記者はさらに質が下がる。これではもう・・・いつぞやの別の都知事が某国のことを「民度」という言葉を使って非難したことがありましたが、今まさに我々の「民度」が試されている気がしますね。しんどいですけどね。