ポジティブであること

大切なことです。ポジティブ。

ポジティブでない人がポジティブであろうとすることはとても大変な感じがします。すんげーたくさんの心のエネルギーが必要な気がします。あんまり無理してポジティブであろうとすると心のエネルギーを消耗しすぎて、ペコンと凹んで折れてしまうのではないかと思ったりします。まじめな人なんかはそうなんでしょうね。真面目に頑張りすぎて、もともと少ないパワーを無理やり出すためにもともと少ないエネルギーをどんどん消費して・・・。

だから本当は頑張らなくてもポジティブであるのが一番いいですよね。どんなことでも前向きに楽しんで取り組むことが出来る。面倒なことを面倒と思わず、面倒と思ってもそれをしんどいと思わず、普通にやっていくことが出来る。それは素晴らしいことであり、羨ましいことでありますね。

とは言えですね、ポジティブも過ぎるとどうかと思うのですよね。立ち止まる慎重さも必要です。まぁあれですね、なんでも「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。

 

少なくとも、ネガティブであるよりはポジティブである方がよいに決まっています。悪いところにばかり目が行って、自分をどんどん苦しい方向にもっていく、周りの人間をそのマイナスのスパイラルに引きずり込む・・・これはダメです。本人もしんどいでしょうが、周りはもっとしんどい。他者を励ますのはとっても疲れます。自分が充実していればそんなことはないのでしょうが、自分も疲弊しているときなんかはなおさら。だから、やっぱりそもそもポジティブでいられるのがよいに決まっているのです。他者に何を言われようと、ちょっとやそっとではぶれない信念をもって進んでいくことが出来るのもポジティブであればこそです。

ちなみに、若いころの猪突であるのはポジティブとは違いますね。猪突は無知であるが故の力でございまして、これは現実を知った瞬間にあっという間になくなる力でございます。理想はポジティブでありながら、若いころの猪突があるうちにしっかりと努力と経験を積み重ねて、猪突が枯れてくるころにはちゃんと根拠のある自信という土台が出来上がっているようにすること。そうすれば、いわく40歳になるころには「不惑」なのでしょうね。

 

またちょっと話がそれましたが、子供を育てていて、果たしてどうすれば子がポジティブになるのだろうか、これは頭を悩ませるところです。今のところの感覚としては、心の有り余る充足感がそれにつながるのではないかというのが1つ、あとは何よりも親のポジティブシンキングとそこから体現される姿勢とがもう1つかなと。

「大丈夫、それでいい。」と自信をつけさせること。かといって必要以上に褒めすぎるとプライドだけ高くなり上っ面だけになる。ダメなところはダメと指摘する。

ダメな時は叱られて知るより痛い目を見て知った方がよい。そのためには挑戦させるべき、ダメダメ言って足を止めさせるな、一歩を踏み出す勇気を削ぐな。

もちろん痛い目を見たら、適切なフォローが必要。時には何もせず放っておく勇気も必要。

自信と慢心は紙一重、慢心しないよう、自制し自律し自戒できるように。しかし、それが行き過ぎるとネガティブになる。

何事もバランスが大切。

バランスをしっかりととってあげるには、子供をしっかりと見ておく必要がある。しっかりと見てバランスをとる。

 

まぁこんなん書くだけはなんぼでもできますけどね、本人を目の前にしてちゃんとちゃんと実践できるかどうかですよね。いやはや、親って大変だ(←ネガティブ発言)。