迷惑をかけない、ということ

人様に迷惑をかけることだけはするな、よく聞くセリフでございます。

以下、専門的なことは全く分からない全くの個人的な解釈ですが、いろいろと書いてみます。

 

まず、迷惑と感じるラインというものは人それぞれでございます。ですから、一概に何が迷惑に当たる行動で何が迷惑に当たらない行動かと線を引くことはできません。当たり前ですが、法律とかルールに反しない範囲について、という前提ですね。

そうした場合に何が大切になるかというと、「配慮」になるのだと思うのですね。他者のことをどれだけ配慮して行動できているか、ということ。十分に配慮されていることが相手に伝われば、一般的にそれが迷惑な行為であっても許容される場合もあります。良いわけではありませんが。

 

例えばわかりやすいのが電話でしょうか。

 

これは家によって人によって、または状況によって受け取り方が大きく異なります。「便りの無いのは良い便り」という言葉もあります。これまた一概ではありませんが、結局はその人による、ということなわけで、その部分をしっかりと配慮できているかどうかが大切なのですね。

電話をするということは「伝えたいことがある」わけですが、果たしてその「伝えたいこと」が、「今そのタイミングである必要があるのか」の配慮=相手が今、こちらの話を聞く余裕があるのかどうかの配慮が必要ですよね。

時間を見て、一般的に忙しそうな時間や早すぎる時間や遅すぎる時間であれば、翌日まで待つかメールで済ませれば良いわけで、そういった時間に「伝えたいから」というだけで無配慮に無差別に電話をかけてくる人については良識を疑います。

我が家的に言えば17時頃から寝るまでの時間、これから風呂に入ろうとしていたり、これから食事をとろうとしていたり・・・そんな時に電話がかかってくると「いやだな」と思うのですね。お風呂に入り、ご飯を食べ、娘の用事(宿題など)を済ませ、翌日の準備をして、残った少ない時間に家族のコミュニケーションをとり・・・と、そんな時に、大した用でもない電話がかかってくると、ものの数分ですが拘束されてしまうわけで、そういうのは本当に嫌だなぁと感じます。メールではダメなのか、週末ではダメなのか、と考えてしまうわけです。

含めまして、自分の判断軸でしか行動できない人、またその軸で判断した結果を配慮なしに人に押し付ける人はダメです。大人になればなるほど、そのあたりを振り返ったり人から注意を受ける機会が減っていきますので、修正できるチャンスはぐっと減っていきます。だから、自分自身がどういう行動をして、他者にどう思われているか、については気が付きにくくなっていきますよね。ですから、広い視野で自身を客観的に見直すことも必要ですよね。

そんなことばかりやっていて疲れる、という部分もありますが、他者に迷惑をかけないようにするためには、そういう配慮が必要だという前提は変わりません。そういった配慮ができない人とはお付き合いしたくなくなってしまいますね。だって、自分の欲求(こうしたいと思った結果の行動)を満たすために、他者の迷惑など省みない人となんて一緒にいて良いことなんてないですよね。逆に、ちゃんと相手のことを考えられる人であれば、一緒にいて苦痛なことはありませんし、むしろそこまでやってくれる人のためならこちらから何かしてやりたい、と思いますよね。そういう人になりたいと思います。

また、配慮がない人こそ、指摘を受けても自分はちゃんと配慮している・できていると感じる傾向があると思います。むしろ、自分はしっかりやっているのに周りは何もわかってくれない、とでも思ってしまうのではないでしょうか。もうそうなると救いようがないですね。他者から指摘をうけているにも関わらず、ちゃんとやっている自分をわからない相手が悪い・・・なんてね、困ったものですね。

自分もそういう部分はあるでしょうし、これから年齢を重ねて他者に迷惑をかけてしまうような行動をしがちになってしまう可能性もありますが、できる限り、そういった部分に配慮ができる人間ではあり続けたいなと思います。