判断・決断

ハフィントンポストの記事

◆かなり極端な例ですが、あれだけの企業のトップとなるとそれだけ判断・決断をする回数が多いのでしょうね・・・服を選ぶことに気をかけるのが疲れるほどに・・・。確かに、その内容や重さに違いはあれど日々の生活の中で判断・決断を繰り返しているわけですが、ポイントはそれを意識してやっているかどうかではないかなと思っております。多くは、その瞬間その瞬間の思い付きや気分で判断・決断をしてしまっているのではないかと・・・自身への反省も込めてですが・・・。そうすると、それは次につながらないのですよね。あの時あのように判断・決断をした結果こうなった、だから次は・・・という風に積み重ならないと意味がないのです。

◆雰囲気・思い付き・勢いの積み重ねでうまくいく人もいるかもしれませんが、それはラッキーが積み重なっただけですね。ちゃんとした判断・決断を積み重ねなければ、誰かに判断・決断を迫られたときに答えに窮します。答えられたとしても根拠を問われたら答えられません。弁がたつ人であればその場しのぎで何とかなるのでしょうが、そういう人は年齢を重ねて、もっともっと難しい判断・決断を迫られたときにそれまでの薄っぺらさが露呈します。それがおそらく、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」の本質ではなかろうかと思うのです。

◆また、積み重ねられた判断・決断でなければそこには責任が伴いません。上っ面の、口先だけの判断・決断ですから、それに失敗して責任を迫られたときにそういう人は逃げちゃうでしょうね。ちゃんと判断・決断した人であれば、そこまでの窮地に追い込まれないでしょうが、追い込まれたとしてもすべてを引き受けて問題を解決しようとするでしょうし、そこまで含めて判断・決断しているでしょうから解決の手段も見えているはずでしょうし、最悪その場面で解決できなくても、次の一手を必ず持っているはずです。

◆そうやって省みてみると、自分はまだまだ薄っぺらいなぁと。頑張ろう、しっかりとせにゃならんな、と思うわけでございます。