注目記事

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1411/20/news007.html
(「ITmedia」関連の「BusinessMedia」に新連載となった「烏賀陽(うがや) 弘道」さんというジャーナリストの記事)

 

これはとっても参考になる記事でした。Wikiなんかを見る限りではだいぶ変わった方ではあるようですがこの記事はとてもわかりやすい。納得するところが多い。

卵が先か鶏が先か、という話ですが、以前は報道する側に最低限の正義やモラルがあって、それが故に「(烏賀陽氏が言うところの)ニュースセンター」として機能していたところがあったのだと思うのですが、報道する側の正義やモラルが低下してしまい、彼らから提供される情報が信頼するに足りない(かもしくは受け取る側がそう感じてしまうような)現状では、今やメディアにニュースセンターの機能を求めるのは難しいのだと思います。

 

「パーソナライズ」という言葉も、個人的な生活の中では非常に心地よいもので、便利なものですが、社会全体で考えると、難しい現象ですね。インターネットが普及して、個人が情報の取捨選択をするようになったことで、日々、自分自身が試されている、と私は考えていますが、それでも楽な方に流されるのが人間ですから、気がつかないうちに「パーソナライズ」に傾いていってしまっているのだと思います。

特に記事3ページ目の

 「パーソナライズされた関心集団」の内部では、人々は自分と似た思考や嗜好の人ばかりと交流し、異なる意見の持ち主とは接したがらない。結果、集団は細分化し、内部の意見はますます均質化していく。ハーバード大学ロースクールで憲法や行政法を教えるキャス・サンスタイン教授は2006年の著書『Infotopia』で「インターネット上の集団は、より同質の人々との交流を好む。その結果、ネット集団は意見が均質化し、急進化し、過激になっていく」と指摘している。

~引用、「新連載・烏賀陽弘道の時事日想:朝日やNHKが選ばれない時代に、私たちが注意しなければいけないこと」(2014/11/20)より~

ここには要注目ですね。「異なる意見の持ち主とは接したがらない」、「意見が均質化し、急進化し、過激になっていく」と。なるほど。その通りですね。それを意識していればよいのですが、なかなかそうはいかないのでしょう。無意識のうちに自身の意見が正当化される場所を選択し、無意識のうちに自身を正当化し、それが社会一般の意見であるかのように誤認し、過激に、ともすると攻撃的になっていく。そんな雰囲気がネットのあちらこちらに見られますね。この記事を読んで、自身に言い聞かせてきたこと・・・「しっかりと情報を取捨選択しなければならない」を「取捨選択して吟味しなければならない」に訂正したいと思います。

 

この連載、注目して追いかけてみたいと思います。