「学校は誰のものか」


オススメ度 ●●●○○(3/5点)

◆筆者は元高校の校長先生です。本を出されるくらいですから当たり前といえば当たり前ですが、持論を強くお持ちのようで、文章中に他の方の意見をところどころ引用されては論破しようとしていらっしゃいます。そういう論調はあまり好みではない分、オススメ度は下がりますが、タイトルどおりその内容については非常に興味深く読むことが出来ました。

◆さて、学校は誰のものでしょうか。これに対してほぼ全ての人が「通っている子供たちのためのもの」と答えるでしょう。それ以外の回答は見当たりません。問題は「子供たちのためのもの」であるということの定義です。だから何をどこまでやってあげるべきなのかどうかというところ。

◆最近よく見かけるのは、「教育再生会議」にも参加されているワタミの社長さんのように、子供たちを「お客様」にたとえる論調ですね。それはわかる気がします。だってこの方は普段からそういう商売をしていらっしゃるわけですから。そして成功を収めているわけですから。全てにおいてそういう論調になるのは納得できます。◆驚くべきは、この本の筆者は「学校出身」にも関わらず子供たちを「お客様」になぞらえて「誰のものか」について論じているところです。

◆私は、お金をいただいて教育をする立場にいる人間ですから、間違いなく子供、ひいてはその背後にいる保護者まで含めて「お客様である」という認識でおります。この考え方が「学校」と言う世界にいる「先生」という人種にはなじまないのだというような内容の本でございます。立場上、大いに納得できる論調でした。

◆学習塾にいても、「自分の言っていることは正しい」、「自分の言ったとおりにやればいいんだ」という考えに陥ってしまう人間はたくさんいます。危険なのはその学習塾全体(構成する人間1人1人)がそのような考え方に陥ってしまう時です。◆「教育」という言葉を盾にして、それを「特殊性」という言葉で飾って自らの正当性を誇示する。確かに、子供の頃に「我慢すること」など様々な経験をすることはとても大切です。それを守られた安全な環境の下で疑似体験できるのが学校と言う小社会なのだと思います。そう考えれば先生が生徒をお客様として扱うことへの抵抗・反対があってもおかしくはありません。◆でも要は「定義」「解釈」の問題だと思うのですね。恐らくこの筆者もワタミの社長も、居酒屋やホテルと同列で「お客様」という言葉を使っているのではありません。でも、そういう曖昧な意味で「お客様」という言葉を使い始めると、今度はその言葉が独り歩きを始めます。「ゆとり教育」という言葉が使い出されたときの「ゆとり」という言葉と同じです。◆ですから、有識者達で「お客様」であることの「定義」もしくは、お客様に代わる別の(より伝わりやすい、的確な)言葉を選んで使うようにするべきです。その上で、学校は「お客様である子供たちのもの」という意見が成立するのでしょう。

◆現在の仕組みにただ不満をぶちまけたり、悪い点を指摘するだけでは何も変わりません。どう改善するべきか、どれがより良い形であるのかを真剣に考え、皆で本当の意味での「子供たちの学校」を実現していかなければならないのではないでしょうか。

※そんな訳で私、早速、首相官邸HPから「教育再生会議」の議事録や資料やらを全部ダウンロードしてきました。全部しっかり勉強させていただきたいと思います。ちなみに、教育再生会議の有識者にはワタミの社長も選ばれていらっしゃいますよ(必殺のバウチャー制度について語っているのではないでしょうか・・・?)。

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